姫路・青山八景

姫路市青山は昔の西国街道が通っている町で矢落の森、稲岡山の稲岡神社、人丸神社、和泉式部腰掛石、黒田官兵衛の青山古戦場など、いろいろな物語がある史跡が多く残っています。

西国街道

今回、青山に残る「青山八景」の石碑を探して巡ってみました。

青山八景とは姫路藩主・榊原政邦が宝永二年(1705)に青山の景勝地8か所を選び、「南海標船」、「歌書秋月」、「季奥疎鴈」、「遠地風鐘」、「義舎夜雨」、「夢前漁火」、「錦戸春雪」、「山社晴風」と題して漢詩と和歌を詠んだものです。

南海漂船

稲岡神社の裏にある稲岡山の頂上に南海漂船の石碑があります。

歌書秋月

稲岡山の東麓にある和泉式部の腰掛石と同じ場所にあります。看板の横の石が和泉式部の腰掛石です。

和泉式部の腰掛岩

季奥疎鴈

春秋の契りしられぬ季奥の
幾千世かけてしのふかりかね

遠地風鐘

遠地風鐘は宗全寺跡の石碑の側面に刻まれています。

浦わけて遠近ひびくかねの音に
しぐれをいそぐ浮雲の空

宗全寺跡

宗全寺は嘉吉の乱(1441)の後、播磨国守護になった山名宗全が戦死した一族、家臣を弔うために建立したといいます。

嘉吉の乱により赤松氏は一旦滅びます。その後、赤松氏の再興、赤松対山名の抗争、赤松氏の弱体化、浦上や別所氏などの勃興により播磨は大いに乱れていきます。

義舎夜雨

庄屋屋敷の前に義舎夜雨の石碑があります。

庄屋屋敷

夢前漁火

夢前川の川原(青山側)に建っています。

錦戸春雪

錦戸春雪の碑は遠山の地蔵さん内にあります。

もともとは法灯寺跡で嘉吉二年(1442)太田垣氏が建立し、法光上人が開基したと伝えられています。

山社晴風

稲岡神社の境内にあります。

雲はれて山路さひゆくみやしろの
神代のあとをとふあらしかな

現在の青山は開発が進んで景勝地というわけではありません。江戸時代はどんな風景が広がっていたのかなと思います。
漢詩と和歌を詠んだというお殿様・榊原政邦は文化人だったのでしょうね。