御坂サイフォン橋

いなみ野台地は周りを加古川、美嚢川、明石川が流れていますが、これらの河川より30〜40m高く、その水を利用することができませんでした。また、この地方は瀬戸内海気候で雨が少なく、水の確保が常に問題でした。

江戸時代から疎水を作る構想はあったようですが、巨額の工事費、複数の藩が関係するという問題があり、実現しませんでした。
明治になったあとも、台地の利用を図るためにも色々なアプローチがなされ、とうとう明治21年(1888)に淡河川疎水の建設が着工され、明治24年(1891)に完成しました。

疎水の全長26km。総灌漑面積は1112ha。東京ドーム240個分です。

この疎水建設は大工事で、特に淡河川からいなみ野台地へ進む途中にある志染川を超える工事は日本初のサイフォン橋を造るという画期的な事業でした。
取水地の標高は134m、志染川を渡るサイフォン橋で78mまで下がり、対岸で131mまで上がります。
取水地と対岸の高低差3mで水が送られます。

サイフォンの設計者はイギリス陸軍少将ヘンリー・スペンサー・パーマー。
パーマー少将は御坂サイフォン橋だけではなく、日本初の近代水道である横浜市水道の設計・監督も行い、「近代水道の父」として知られているようです。

志染川を超える部分は眼鏡橋となっています。
全長は52m。川面からの高さは12m。

この真下に鋼管が配置され、水が流れています。

志染川に掛かる眼鏡橋

眼鏡橋の下を流れる志染川。

志染川の河原に降りることができます。

サイフォンの眼鏡橋がきれいです。