三草藩陣屋

寛保年2年(1742)、越後高柳の藩主であった丹羽薫氏の所領替えにより三草藩ができました。
藩主の丹羽氏は参勤交代をしない江戸詰めの大名だったので、藩士の多くは江戸に住み、三草にはここを支配する役人だけがいたようです。
陣屋も大規模なものではなく、藩主が時折、お国入りしたときに使う宿舎のようなものだったようです。

現在、やしろ国際学習塾が建っているところに陣屋があったようです。
やしろ国際学習塾には三草藩陣屋跡の石碑がありました。

やしろ国際学習塾の裏手に幕末期に藩の大目付として活躍した尾崎家の屋敷が残っています。
昭和40年頃までは、この家は使われていたそうです。

畳敷きの和室はきれいに整えられて、美しい。

居間
奥の間

炊事場にはかまどがあります。料理するのは大変だったろうと思います。
庭はきれいです。

台所

明治頃にこの家を引き継いだ尾崎詮順、詮光氏の証書が展示されていました。
尾崎詮順氏は明治12年播磨国加東郡三草町の戸長に任命されています。すでに兵庫県が成立していましたが、まだ播磨国となっています。
明治20年の尾崎詮光氏の修業証書には兵庫県士族と書かれています。士族という身分が残っていました。

尾崎詮順氏の戸長任命の証書
尾崎詮光氏の修業証書

ボランティアの方が色々説明してくれました。コロナの影響で人が来なかったこともあって、庭が少し荒れてしまったと言われていました。
こういう建物を残すというのは大変だと思います。大事にしていただいていることに感謝です。