加西市北条から10km北方にある河上山久学寺は赤穂浪士ゆかりがあるお寺です。
東京の泉岳寺、赤穂の花岳寺とならぶ三がく寺の一つということです。
- 文安3年(1446)性光禅師の開基
- 6代目 天良扶禅師のときに赤穂藩主・浅野長直公の帰依を受け浅野家の菩提寺となる。
当時、久学寺のある日吉、宇仁、在田が赤穂領だった。 - 元禄14年(1701)松の廊下の刃傷事件により、赤穂浅野家は断絶。
大石内蔵助は浅野家の永代供養を碧峰和尚に依頼する。 - 元禄5年(1692)と享保3年(1718)には山崩れによって、堂塔、伽藍が壊滅。寺宝、古文書を失う。
- 現在の伽藍は享保3年から明和3年(1766)までの間に建立されたとされている。
北条の街を過ぎ、芥田川沿いをサイクリング。
紅葉しかかった山々、田んぼが広がり、気持ちよく走ることができました。
久学寺の寺域に入ると鬱蒼とした木々に囲まれます。
趣がある山門です。額は「第一義」と書いているのでしょうか。
久学寺の詳細な由来が刻まれた石碑が立っています。
江戸から早駕籠が赤穂に到着したとき、大石内蔵助は久学寺で碁を打っており、赤穂よりの使者から刃傷事件を聞いてあわてて赤穂に帰ったという話が伝えられています。
「自由にお参りしてください」との張り紙があったので、本堂の中に入らせていただきました。
久学寺は曹洞宗、ご本尊は釈迦如来です。
赤穂浅野家の菩提寺ということから、浅野内匠頭長矩公と46士の戒名は9代住職 海音和尚が贈ったという記録が保存されているそうです。
久学寺は山に囲まれています。
特に派手なこともなく、静かなお寺でした。
刃傷事件がなかったら、大石内蔵助もこの静かな環境で和尚との囲碁を楽しんでおられたのかもしれません。