加西市・羅漢寺に約500体の石仏(羅漢像)が集まっています。
作られたのは江戸時代の初期。作ったのは名のある芸術家ではなく、地元の庶民が酒見寺の復興に合わせて作られたようです。
羅漢寺入り口の説明看板には以下のようなことが書かれていました。
兵庫県指定重要文化財 北条の五百羅漢
■ 造立時期 江戸時代初期(17 世紀前半)
古くから「親が見たけりゃ北条の西の五百羅漢の堂に御座れ」とうたわれ、表情の異なる石仏の中に、必ず親や子に似た顔があると言われています。
素朴で表情豊かな野の仏として多くの人々に親しまれています。
地元で採れる高室石(凝灰岩)の角柱状石材を加工した羅漢立像が大半を占めるほか、釈迦三尊像や大日・阿弥陀如来像など中心となる本尊仏のほか、仁王像や造立に関与した高瀬家の供養者坐像など、459 体で構成されています。
17世紀前半の酒見寺再興にあわせて信仰・供養のため造立されたと考えられています。
中世から近世初頭における寺院の再興など、播磨における当時の社会的な動向を検討する上で、貴重な石仏群といえます。また、その作風は江戸前期の市内石仏の代表例になっています。平成30年7月 加西市教育委員会
加西市教育委員会の看板より
入場料を払って中に入っていくと石仏が見えてきます。
圧倒的な数の石仏たちです。素朴な顔、形で親しみが持てます。
お釈迦様や閻魔大王たちもいました。
来迎二十五菩薩が並んでいて、奥で阿弥陀如来様が迎えてくれます。
羅漢寺には石仏以外にもいろいろなものがあります。
息子の児島尚善宛に、お母さんが200通もの手紙を書きました。児島尚善は母から送られてきた手紙を保管し、母の死後に碑を建てました。この碑を「慈法尼手簡塚」と名付けています。
児島尚善は江戸時代加西の医師、儒者です。常に人に善行をすすめ、衛生思想の普及に努めたそうです。出産に関する「母子草」と言う本を書いています。
仁王像や造立に関与した高瀬家の供養者坐像、古墳に使われた家形石棺もありました。
あまりのたくさんの石仏。
これだけの石仏を作ろうと思ったエネルギーがすごい。