加西・蓬莱山普光寺

加西市普光寺は白雉2年(651)に法道仙人が開基したとされる歴史あるお寺です。
法道仙人は天竺(インド)から白雲に乗って日本にやってきたと伝えられる仙人で、播磨で多くの寺を開いています。

お寺に続く道脇にカエルの像がありました。
普光寺周辺には天然記念物のモリアオガエルが生息しています。他にはヒメハルゼミというセミもいるようで、自然豊かなところです。

お寺へ続く道
カエルの像

不工事仁王門までの道にはたくさんの石像が並んでいます。

六地蔵は人々の苦悩を救い延命をもららせてくれる菩薩様。
人は死後、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天の六道を巡るとされていて、そのそれぞれにつきそってくれる檀陀、宝珠、宝印、持地、除蓋障、日光の菩薩様。
輪廻すると考えると、なんとなく気が大きくなるような感じがします。

六地蔵

十二支のそれぞれの像が建てられており、十二支の動物とかわいらしい小僧のセットです。

トラと小僧さん
十二支しあわせ小僧

たくさんのしあわせ小僧たちをに出迎えられあと、仁王門に到着です。

普光寺は何度も消失しており、この門は享保11年(1726)に再建されました。
鮮やかな塗装は平成10年(1998)に施されたようです。

朱色に塗られた仁王様は迫力があります。

山門をすぎると池があります。
この池にもモリアオガエルがいるのでしょうか。

池をすぎると本堂に到着です。

仙人が普光寺を開いたときの物語が伝えられています。

仙人が山に登られたとき、お経の声が聞えてきた。
仙人はその声を尋ねて行くと千手観世音の霊像が石の上に坐っておられた。
すると、金峰明神があらわれて、「この山は蓬莱という。ここで仏法を広げなさい」と仙人に告げた。
仙人は不思議なことであると思い、勅命をうけて伽藍を建て千手観世音の霊像を安置された。
白雉2年(651)に孝徳天皇が行幸されて蓬莱山普光寺と名付けられた。

神様が出てくる不思議な話です。
しかし、普光寺の開基は別の話もあります。
それは長谷寺を開いた徳道上人が開基したというものです。

神亀6年(729)、長谷寺の観音像をを造るときに、その霊木の一部で十一面観音像を彫り、それを本尊として開基された。

法道仙人と徳道上人は同一人という説もあるのでややこしい。

いずれにしても普光寺は1300年を超える歴史を持ち、播磨六山という由緒あるお寺です。
播磨六山には次の話があります。

近衛天皇の御代、大旱魃が発生した。勅命により円教寺、随願寺、八葉寺、神積寺、一乗寺、普光寺の僧侶が酒見寺に集められ雨を祈った。すると、たちまち大雨が降り出した。

本当にこういうことがあれば、仏教は素晴らしい技術と考えられたでしょう。

鎌倉寺

次に鎌倉山に登りました。
鎌倉山には普光寺の奥の院と言われる鎌倉寺があります。

鎌倉山は修験道の山のようです。そして、次の話が伝えられています。

住吉大神が五王子をともなって当国に来て、鎌倉峰に住んでいた。
随従していた佐保神が「この峰はよくない。北条へ行きましょう」と誘うので、行くことにした。
途中、休んでいるすきに、佐保神が神宝を盗んで大川(加古川)の東に逃走した。大神はすぐに四番目と五番目の王子に佐保神を追いかけさせたが、二人の王子は「大川が増水して渡ることができない」といって帰って来た。
大神は怒り、二人の王子を勘当して追放し、三人の王子だけを伴って北条へ行った。

この佐保神は佐保神社の神様だと思うのですが、悪く書かれています。
鎌倉山は加古川の西、佐保神社は加古川の東側にあります。加古川を挟んだ東西で、戦いでもあったのでしょうか。
そして、この住吉大神が北条へ行き酒見大明神としておまつりされ、現在の住吉神社となります。

普光寺の方から鎌倉山を巡る修験道があるのですが、それを登り歩くのは無理と考え、鎌倉山のふもとから山頂だけを目指すことにしました。

入口の看板
萬度供養塔

ショートカットなので簡単に登れるのでは、と思っていたのですが、すごくハードでした。

かなり疲れてハアハアいいながら登り続けると、建物が見えてきました。

鎌倉寺と鎌倉神社です。

鎌倉寺
鎌倉神社

鎌倉寺のご本尊は十一面観世音菩薩で、徳道上人が長谷寺の本尊を造るときに、試みで造ったと伝えられる十一面観世音で、「こころみ観音」と呼ばれたといわれ、脇侍は雨宝童子、善女竜王と呼ばれ、通常の観音菩薩とは異なっているようです。
これは仏教渡来以前の、土俗信仰、雨乞い行事などの痕跡であると見られています。

鎌倉寺は法道仙人が入定したところと伝えられています(播磨鑑)。

鎌倉寺からさらに登り、ようやく山頂にたどり着きました。

標高452m
法起大菩薩像

天気が良ければ明石海峡大橋まで見えるそうですが、当日は雲が多く、あまり見えませんでした。

修験者はこの山を何度も登り、心身ともに鍛えて、神様に近づくことができたのでしょう。