柏原・おさんの森

丹波市柏原に「おさんの森」と名付けられた森があります。
天和3年(1683年)京都、大経師の妻おさんが奉公人と駆け落ちした事件の遺跡です。

おさんは京都の烏丸通り四条の大経師意俊の妻。
女中のお玉の仲介で、おさんと手代の茂兵衛が密通。三人いっしょに丹波の国へ逃げたが、隠れ家を発見される。
天和3年(1683)に洛中引き廻しのうえ粟田口 の刑場で、おさん茂兵衛は磔、仲をとりもったお玉は獄門 にかけられて処刑された。

この駆け落ち事件を、井原西鶴は貞享3年(1686)に刊行された「好色五人女」の第3話「中段に見る暦屋物語」で書いています。
近松門左衛門は「大経師昔暦」というタイトルで人形浄瑠璃にしました(正徳5年/1715年)。
「大経師昔暦」は近松の三姦通物の一つとされています。

おさんの森の入り口

「おさんの森」へと続く道は旧山陰街道と書かれていました。
「マムシ注意」の看板があったので、ビクビクしながら5分ほど歩くと鳥居が見えてきました。

おさんの森 遺跡

京から逃げてきた2人はここに隠れていましたが、おさんが咳をしたため、追っ手に見つかり捕まったと伝えられています。

悲恋の2人のために祠が建てられ、「咳の神様」として信仰されていましたが、「恋成就の神様」としても信仰を集めているそうです。

おさんの夫・大経師意俊は、この事件の後、家内の監督不行届きということで、お家断絶の処分をうけました。
江戸時代は厳しい。