姫路・龍門寺

姫路市網干にある天徳山龍門寺は寛文元年(1661)に「不生禅」を説いた盤珪国師によって創建されました。
コトバンクで不生禅を調べると、「人は生まれながらにして不生不滅の仏心をもつと説き,形式的な座禅修行を否定し,日常生活そのものが座禅に通じる」とでてきました。
特別な修行をしなくても、仏心を持っていると説かれると安心できるように思えます。

四寺の松
山門

龍門寺の門前通りは浜街道と呼ばれていたそうです。
現在、盤珪禅師ゆかりの光林寺(東京)、如法寺(愛媛)、雄香寺(長崎)、龍門寺を象徴する四寺の松が植えられています。
山門も大きくて立派です。

大きなお寺でたくさんお堂、石像があります。

盤珪国師の念持仏の分身、水掛一願不動尊。悪に対する怒りと、凡夫に対するあわれみの熱気で身を焦がさんばかりの明王に水をお掛け申すと一願成就する功徳があるそうです。

水掛一願不動尊

不動堂は盤珪国師の念持仏である不動明王の像を祀るために建てられた堂です。
盤珪国師が少年だった頃、寺子屋で「大学の道は明徳を明らむるにあり」の言葉に出会います。国師は「明徳」を理解したい一心で西方寺の不動尊に30日の間、日参しました。
西方寺住職は国師の熱意に感服。その不動尊を与えました。

不動堂
唐門

元禄6年(1693)春、門弟たちが国師のために寿堂(存命中に長久を祈って建てる廟堂)の建設を始めたのですが、国師は9月3日にお亡くなりになられました。
霊骨は翌年2月、開山堂に納められました。

開山堂

地蔵堂は延宝7年(1679)、母妙節尼のために建てた寿堂とされ、母が亡くなると、この堂下に葬られたと伝えられています。観音堂は創建当時の建築物の一つと考えられています。

地蔵堂
観音堂

禅堂の 「烹金爐」の額は丸亀藩主京極高朗の筆と伝えられています。

禅堂
「烹金爐」の額

大方丈は大きな建物です。
狩野派の襖絵43面があるそうです。
43面もの襖と、すごく大きいものだと思います。一度、見てみたいです。

大方丈

お寺の奥には、佐々木家(灘屋)の墓、盤珪国師をしたって網干に来た俳人・田ステ女の墓がありました。

佐々木家(灘屋)の墓
田ステ女の墓

龍門寺の創建では当時網干を治めていた丸亀藩主・京極高豊公、網干の富豪・灘屋の佐々木道弥、正意、道珠の兄弟の尽力がありました。
灘屋は廻船問屋を営む富豪で千石船を48隻所有したといい、井原西鶴の「日本永代蔵」の那波屋のモデルとされます。
佐々木道弥は盤珪国師と友達で、「君が僧になったら、わしが寺を建ててやる」と約束していたそうです。
道弥はちゃんと約束を守ったのですね。