壇ノ浦古戦場・赤間神宮

平知盛と源義経

下関側の関門トンネルを出たところに源義経と平知盛の像が建っています。
ここが壇ノ浦の古戦場でした。

平家の大将は平知盛。源氏は源義経。
寿永4年(1185)3月24日の朝から始まった戦いは、序盤戦は潮の流れに乗った平家が優勢だったが、潮の流れがかわり形成が逆転。源氏の勝利に終わります。
平家方は8歳の安徳天皇、平清盛の正室・二位尼(平時子)らが入水。平知盛は「見るべきほどのことは見つ」と言い放ち、海中に身を投げた。

潮の流れが早い関門海峡

「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響あり」で、数年前には「平家にあらずんば人にあらず」と言っていた平氏が滅亡。勝者になった源氏・源頼朝が幕府を開きます。

赤間神宮

壇ノ浦古戦場から少し離れたところに赤間神宮がご鎮座されています。
水天門は絵本で見る竜宮城のような形をしています。
祖母の平時子と一緒に海に飛び込んだ安徳天皇。「海の中にも都はございます」と言うおばあちゃんと一緒に海中の龍宮城にお着きになったのでしょう。

竜宮城のような水天門
拝殿

建久2年(1191)、当地にあった阿弥陀寺内に安徳天皇の御影堂が建立されたのが赤間神社の始まりです。
明治維新になり、阿弥陀寺が廃止され赤間神宮と定められました。

水天供養塔

七盛塚

壇の浦合戦で亡んだ平家一門を祀る七盛塚。
「赤間神宮略記」によると平有盛、平清経、平資盛、平教経、平経盛、平知盛、平教盛、平家長、平忠光、平景、平景俊、平盛継、平忠房、平時子がお祀りされています。

七盛塚

芳一堂

耳なし芳一は赤間神宮の前身、阿弥陀寺での話でした。
芳一堂というお堂があり、琵琶を抱えた芳一像が安置されていました。当然耳はありません。
場所は七盛塚のお隣。
夜になると琵琶を鳴らして壇ノ浦合戦の物語を奏でているかもしれません。

芳一堂
耳なし芳一像

赤間神宮前の阿弥陀寺公園に碇があります。
下関海洋少年団の名で「平家の大将・平知盛が碇を背に海に飛び込んだことをいわれとして、海参道の入口に碇を奉納し、ご祭神の御霊を慰め、海峡の平安を祈る」とありました。

海峡守護の「碇」