源覚寺はこんにゃく閻魔として知られている寺です。
樋口一葉の「にごりえ」に源覚寺がでてきます。
「嘘をいふと盆が来るに焔魔様へお参りが出来まいぞと笑へば」
「ああ今日は盆の十六日だ、お焔魔樣へのお參りに連れ立つて通る子供達の奇麗な着物きて小遣ひもらつて嬉しさうな顏してゆくは」
焔魔樣で源覚寺のこととわかるほど、知られていたのだと思います。
源覚寺は寛永元年(1624)の開創以来、明暦の大火などの数々の大火にあい、さらには太平洋戦争の東京空襲。
しかし御本尊様と閻魔様は無事でした。
閻魔様はえんま堂におられます。
片方だけ目が白く、眉がつり上がり、口を開けた怖い顔をしておられます。
そして、たくさんのこんにゃくがお供えされていました。
これには次のエピソードがありました。
眼病を患った老婆が閻魔様に参拝を続けたら、夢枕に閻魔大王が現れ「満願成就の暁には、片方の目を差し上げよう」と言われた。
満願の日。老婆の目は治り、大王の右目はつぶれてしまった。
感謝した老婆は好物の「こんにゃく」を断ち、閻魔様に供え続けた。
怖い顔をされていますが、優しい閻魔様でした。
塩地蔵尊は源覚寺が開創される前からこの地にあって人々の信仰を集めていたと伝えられ、お地蔵様のお身体に塩を塗ってお参りするそうです。
お地蔵様は塩に埋もれていました。
境内の鐘・「汎太平洋の鐘」は太平洋をまたいだ旅をしています。
鋳造されたのは元禄3年(1690)。
昭和12年(1937)、サイパン島の南洋寺に送られる。
昭和19年(1944)サイパン島陥落。アメリカ軍に支配される。
昭和40年(1965)テキサス州オデッサ市で発見される。
昭和49年(1974)サンフランシスコ桜まつりに展示され、当山に寄贈される。
無事に帰ってくることができて良かった。
色々なエピソードと歴史に彩られた源覚寺でした。