多井畑厄除八幡宮

日本最古の厄除けの霊地という多井畑厄除八幡宮におまいりしました。

神護景雲4年(770)6月、宮城四隅と畿内の国境十ヵ所に疫病祓祭を行うよう勅命がくだされました。多井畑厄除八幡宮の地は摂津と播磨の国境に位置しており、ここに厄神が祀られたと伝えられています。
神護景雲4年は女帝称徳天皇の時代です。
勅命が発令されたとき、称徳天皇自身も病にかかっており、8月に崩御されます。
天皇の病気を治すためにも、強力な厄祓いが必要とされたのではないでしょうか。

100段近くある石段

社殿は高倉天皇の安元年間(1175〜1177)に、石清水八幡宮を勧請して造営されたといわれています。

社殿

多井畑厄除八幡宮には神戸市須磨に配流された在原行平や、一の谷の合戦に向かう源義経が祈願したといわれています。
在原行平が愛したとされる松風村雨姉妹の墓がすぐ近くに残っており、行平は二人に会いに来たのかもしれません。

社殿からさらに登っていくと厄神祭塚に着きます。
称徳天皇の勅命によって、厄神が祀られた霊地です。

厄神塚

手前の水槽にひながたを流します。
罪や穢れ、病気、災いをひながたに移し、流すことで、身が清められます。

水に浮かぶひながた

医療技術がなかった時代。厄神をお祀りし、ひとがたを流すことは医療であり、合理的な手段と考えられていたのだと思いました。