和泉式部 誓願寺と誠心院

西京極にある誓願寺と誠心院は和泉式部に関係がある寺で、謡曲「誓願寺」の舞台となっています。

誓願寺

誓願寺

誓願寺は新京極ろっくんプラザの向かいにあります。繁華街の通りに面していて、この立地にはちょっと驚きました。新京極通りが後からできたので仕方がないのでしょうが。
寺の説明版には次のように書かれています。

・創建は天智天皇6年(667)。
・寺は奈良にあったが、鎌倉初期に京都へ移転。さらに天正19年(1591)に現在地に移った。
・清少納言、和泉式部、秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことから、女人往生の寺として名高い。
・法然上人が当寺を譲られてから浄土宗になった。
・一遍上人が念仏賦算を行った。

本堂におられる阿弥陀如来像はすごく立派でした。
現在の敷地が小さいので、こんなに立派な像があるとは思いませんでした。京都はすごいです。

阿弥陀如来像

女人往生で清少納言と和泉式部が帰依して往生したとあります。
もともと、仏教では女性蔑視の考えがあり、「女性は男性に変化し、その後に往生する」とされていたようです。
そんな中、二人は誓願寺において庵を結び、念仏して極楽へと旅立たれたといいます。

誠心院

誓願寺の近くにある誠心院。和泉式部を初代住職とする寺です。
説明看板によると、関白・藤原道長が娘の彰子に仕えていた和泉式部のために一庵を与えたのがその起源とされています。

誠心院入り口
和泉式部

本堂には和泉式部、藤原道長の像が安置されているそうです。
実物を見てみたいです。
それにしても、藤原道長の時代は和泉式部、清少納言、紫式部という日本文学のスーパースターがいたのですね。

本堂

本堂の裏手に和泉式部の墓という宝篋印塔がありました。

和泉式部の墓という宝篋印塔

高さ約4メートル、幅約2.4メートルの大きな宝篋印塔です。
この石塔が和泉式部の霊の住処ということで、謡曲「誓願寺」が生まれます。

謡曲「誓願寺」

誓願寺を訪れた一遍上人の前に、一人の女が現れる。
一遍上人の御札「六十万人決定往生」は、六十万人しか往生できないのか?と尋ねる。
これは熊野権現から授かった四句の文「六字名号一遍法」「十界依正一遍体」「万行離念一遍証」「人中上々妙好華」の頭の字をとったもの。
「決定往生南無阿弥陀仏」と念ずるならば成仏できる、と答える一遍。
女は喜び、山門の扁額「誓願寺」を六字の名号「南無阿弥陀仏」に改めることを願いでる。
なぜ、六字の名号にしなければならないのか?あなたはどこにお住まいか?と尋ねる一遍。
女は「わらわの住処はあの石塔だ。我こそは和泉式部だ」と答え、消え失せる。
一遍が「南無阿弥陀仏」を書き上げると和泉式部が歌舞の菩薩となって誓願寺の舞を舞う。

和泉式部は娘の小式部内侍に先立たれ、「とどめおきて 誰を哀れと思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさるらむ」という歌を作り、娘の死を悼んでいます。
「誓願寺縁起」や「和泉式部縁起絵巻」は、娘の死を悲しんだ式部が播磨・書写山円教寺の性空上人を訪ね、教えを請う。その後、出家し、念仏をとなえ往生した、という話です。
こういう物語が作られるのは、清少納言や紫式部ではなく、和泉式部をおいてほかにないと思いました。