国宝の観音菩薩様・渡岸寺観音堂

木之本から長浜へサイクリングの途中、渡岸寺観音堂(向源寺)というお寺に国宝の仏像があるというので立ち寄ってみました。

この仏像は十一面観世音菩薩像で、次のエピソードが伝えられています。

聖武天皇の天平8年(736)、奈良の都に疱瘡が大流行し、死者が相次いだので僧泰澄に除災の祈祷を勅命されました。泰澄は勅を奉じて、祈りを込めて十一面観世音を彫み、一宇を建立して息災延命、万民豊楽の祈祷をこらしてその憂いを断った。

造られてから約1300年という古い仏像です。

向源寺に到着すると山門前に注連縄をまいた大きな木がありました。
これはこの地方の風習で、農地を守る神の宿すところとして、村の出入口など要になる場所に生い茂る大木に注連縄を張り、野の神を祀る伝統行事でした。
この木は高時川から引水する用水路の分岐点になっているとのことです。
大きなケヤキで樹齢300年。幹回りは3.2mもあります。

渡岸寺野神ケヤキ

山門の周りは緑も多く、落ち着いたたたずまいをしています。
桓武天皇の延暦20年(801)には比叡山の最澄が七堂伽藍を建立したといいます。

門を入って正面が渡岸寺観音堂です。

渡岸寺観音堂

十一面観音菩薩立像は現在「慈雲閣」という収蔵庫に移されています。
慈雲閣には国宝の十一面観世音菩薩像、(国)重文の大日如来像と阿弥陀如来像、および獣座・獅子と像が安置されていました。
係員が像のくわしい説明をしてくれます。

十一面観世音菩薩像はお顔も美しく、少し腰をくねらせたお姿で立っているのがなんとも柔らかい印象を受けました。
説明してくださった係の人は、「東洋のミロのビーナス」と言われてました。
写真撮影が禁止だったのが残念です。

境内には御尊像埋伏之地の碑があります。
これは、元亀元年(1570)に起こった姉川合戦の際に寺は焼けてしまったが、観音像は村人により土中に埋められて難を免れたという伝承によるものです。
現在、観音菩薩像を見ることができるのも当時の人たちの努力があってのことでした。
今残っていることは当たり前のことではなく、感謝しなければなりませんね。

御尊像埋伏之地の碑