園城寺(三井寺)

滋賀県大津にある園城寺におまいりさせていただきました。
天智天皇、天武天皇、持統天皇の産湯に使われたという霊泉があることから三井寺と呼ばれる大寺院です。
園城寺と三井寺は別の寺と思っていたのですが、三井寺は園城寺の別名で同じ寺でした。

大門は壮大です。
説明版によると、もとは滋賀県湖南市の常楽寺の門でしたが、それを豊臣秀吉が伏見城に移し、慶長6年(1601)に徳川家康が三井寺に寄進しました。
豊臣秀吉と徳川家康という超大物が絡んだ門です。

園城寺大門

大門を入ると釈迦堂(食堂)です。
御所の清涼殿を移築したものと伝えられ、「食堂」の古式を伝える建物ということです。
檜皮葺の屋根が柔らかい曲線で美しいです。

釈迦堂(食堂)

鐘楼です。鐘は三井の晩鐘で有名です。
日本三名鐘の一つで、「音の三井寺」と言われています。あとの二つは「形の平等院」、「銘の神護寺」です。
鐘楼は慶長7年(1602)に建築されました。

三井の晩鐘

天狗杉という大きな杉の木があります。
なんと、樹齢は一千年といいます。
この杉の木には伝説が残されています。

室町時代の初め、相模坊道了という僧が修行をしていたある夜、突如として天狗となり窓から飛び出し、この杉の上に止まり、朝になるや東の空に向かって飛び去りました。
道了が着いたのは小田原(神奈川県)の大雄山最乗寺でした。
ここで道了は最乗寺の建設を手伝い、寺を守るために天狗の姿に化身したとされています。

天狗杉

国宝の金堂です。
三井寺は戦乱、比叡山との抗争でたびたび焼け落ちますが、この金堂は豊臣秀吉の正室北政所(お寧々)によって再建されたものです。
スケールが大きい。桃山文化を代表する建物です。

金堂(国宝)

金堂の前に灯籠があります。
これは堂前灯籠と言い、天智天皇が大化の改新で蘇我氏一族を滅ぼした償いとして自身の左薬指を切り、この灯籠の台座下に収めたと伝えられています。

堂前灯籠

歴史ある三井寺には数々の伝説が残されています。
閼伽井屋(あかいや)は慶長5年(1600)に建てられたもので、この中には三井寺の名称の由来となった霊泉が湧きだしています。
噴出する霊泉のゴボゴボという音が聞こえました。

閼伽井屋(あかいや)
湧出する霊泉

「弁慶の引摺り鐘」というのもあります。

三井寺と比叡山が争っていたとき、比叡山の僧であった弁慶が三井寺から鐘を奪って比叡山へ持って帰った。ところが、この鐘が三井寺へ帰りたいと泣き叫んだため、谷底へ突き落したところ大きく破損してしまった。

霊鐘堂は閉鎖されていたため、残念ながら見ることができませんでした。

霊鐘堂

次に南の方へ移動します。

一切経蔵は慶長7年(1602)に毛利輝元によって移築された建物です。
中の輪蔵には仏典類を網羅した一切経が収蔵されているそうです。

一切経蔵
輪蔵

三重塔は徳川家康が慶長6年(1601)に寄進したものです。
もともとは奈良県の比蘇寺の東塔であったのを豊臣秀吉が伏見城に移していたものを、三井寺に移築したそうです。

三重塔

それにしても、慶長5年(1600)以降に移築されたとか再建されたという建物が多いと思います。これは慶長5年に関ケ原合戦が終わり、徳川家康公が天下を取ったということと関係があると思います。

微妙寺には黄不動像の写真がありました。
日本三大不動の一つです。三井寺の祖・智証大師円珍が比叡山で修行中に感得されたお姿を写したものといいます。(三大不動は三井寺の黄不動、高野山・明王院の赤不動、京都・青蓮院の青不動です)
それにしても黄不動は怖い顔をされています。

黄不動

西国三十三所霊場第14番札所である観音堂です。
延久4年(1072)に創建されたと伝えられ、元禄2年(1689)に再建されました。

観音堂

三井寺は寺院の数が多く、すべてが伝説や由緒がある貴重な文化財した。
こんなに大きな寺とは思っていませんでした。
そして、建物などを見物して回るだけではなく、そのいわれや伝説、そして歴史や宗教に詳しいともっと楽しめると思いました。