おたぬき様・柳森神社

おたぬき様と呼ばれる柳森神社は秋葉原を流れる神田川のすぐ横にご鎮座されています。
烏森神社、椙森神社とならぶ江戸三森の一つです。

柳森神社の創建は室町時代の長禄2年(1458)。江戸城を築城した太田道灌が鬼門除けとしてこの地に柳を植え、京都の伏見稲荷を勧請して創建したとされています。

柳森神社の横を流れる神田川
柳森神社鳥居

鳥居を入ると社殿は一段低い所にありました。
たくさんの摂社、祠が並んでいます。

社殿が立ち並ぶ境内

秋葉原の駅の周りはざわざわしている感じがしますが、ここは静かです。こういう空間があるのはすてきですね。
おまいりしている人も数名おられました。信仰を集めている神社ですね。
ご祭神は倉稲魂大神(くらいなたまのおおかみ)です。

拝殿

富士塚

境内に降りる階段の脇にあるのは富士講の名残を伝える石です。
延宝8年(1680)に富士浅間神社を合祀、昭和5年には富士塚が作られますが、昭和35年(1960)に取り壊されました。
どんな大きさだったか、見てみたかったです。

富士講の名残の石

力石群

力比べに使った力石がたくさんありました。
これらの石は「神田川徳蔵こと飯田徳蔵とその一派が使っていた石の一部」という説明がありました。

飯田徳蔵氏は明治24年生まれ。神田川米穀市場で荷役として米俵を担ぐ仕事をしておられ、力石界のスーパースターであったようです。昭和に入ると、わが国初のバーベルが作られました。飯田徳蔵氏らは力石に代わって、バーベルで力比べをするようになりました。朝鮮で行われた大会で優勝を飾ったことがあるようです。

力石群

飯田氏は重量挙げ競技選手権(昭和15年)を主催し、神田川重量挙げ道場を興します。見世物の力石かつぎ(差し石興行)をウエイトリフティングというスポーツに変えていく原動力になられました。

こて絵

神楽殿の横(道路側)にこて絵がありました。
鯉が描かれています。
漆喰を使ってこれだけ精巧な作品を作り上げるのはすごい技術ですね。

こて絵

福寿神

五代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が江戸城内に建てた「福寿いなり」がおまつりされています。桂昌院は京都の八百屋の娘として生まれました。よくそんな身分から将軍の母になれたものです。江戸時代はがんじがらめに身分にとらわれていると思っていたのですが、意外と自由があったのでしょうか。
説明板では「他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った院の幸運にあやかりたいとこぞってお狸さまを崇拝した」と説明されていました。
たぬきは ”他を抜く” の意味だったんですね。
所願成就の福寿神として、他を抜いて受験、勝運、出世運、金運向上にご利益があるそうです。

たぬき
福寿神

柳森神社は境内こそ小さいですが、いろいろなエピソードがある神社でした。
玉垣に描かれた朱色の文字が下町のわれらの神社という感じがしていいなあと思いました。