東京23区内の天然の山としては最も高い愛宕山の山頂にご鎮座れている愛宕神社。
徳川家康公が幕府を開くにあたり、江戸の町の防火、防災の守り神として創建されました。
ご祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)、罔象女命(みずはのめのみこと)、大山祇命(おおやまづみのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)です。
神社はちょっとした丘の上にあるのが多いので、特に気にもしていなかったのですが、この石段の前に立った時はちょっとビビりました。
段数は86段。標高26mの愛宕山の頂上までまっすぐ伸びています。
この石段は「出世の石段」と呼ばれています。
説明看板によると次のエピソードがありました。
寛永11年(1634)、三代将軍・徳川家光公が芝・増上寺の御参詣の帰り道、神社に咲いている梅を見て「馬に乗ってあの梅を取って参れ」と命じた。しかし、愛宕神社の石段は傾斜が急で、馬で上り下りなんてできそうもありません。
家臣たちがしり込みしているとき、一人の武士が馬に乗って階段を上り始めます。
丸亀藩の家臣、曲垣平九郎でした。
馬を見事に操って石段を上り下りし、家光公に花を献上します。
家光公は「日本一の馬術の名人」と平九郎を褒め称え、平九郎の名は日本国中にとどろいた。
石段は本当に急なので、馬に乗って登るなんて至難の業だと思います。そして、それにもまして馬で降りるのはすごい。
歩いて降りるのも、足を踏み外さないか怖かったぐらいです。
山上に上がると一の鳥居(石鳥居)と朱塗りの門があります。
朱塗りの門をくぐると厄除けの効果があるそうです。
神社には徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」も祀られているそうです。
勝軍地蔵は神仏習合の愛宕権現であり、軍神として武士から信仰を集めた神様で、「天下取りの神」、「勝利の神」でした。
桜田門外の変で井伊直弼を殺した浪士たちは愛宕神社で集合、成功を祈願して桜田門へ向かったそうです。
大きさから言うと小さい神社ですが、様々なエピソードがありました。
それにしても、石段は急でした。
石段の脇に「トレーニングとして登ってはダメ」の看板がありました。この石段を上り下りすると足腰は鍛えられそうです。
でも、もし転げ落ちたら大けがになる、参拝の人を巻き込んでしまうかもしれません。
ここでトレーニングはしない方が良いですね。