慈眼院 澤蔵司稲荷

慈眼院 澤蔵司稲荷

傳通院の近くにある慈眼院 澤蔵司稲荷を訪問しました。
傳通院の別当寺をして創建されました。

本堂

創建には狐にまつわる伝説があります。

元和4年(1618)、傳通院の学寮に澤蔵司と名乗る僧が入寮した。
澤蔵司は非常に優秀で、わずか3年で浄土宗の奥義を極めた。
元和6年(1620)の5月7日、学寮長の極山和尚の夢枕に澤蔵司が立った。
「余は千代田城の内の稲荷大明神である。浄土宗を学びたいと願っていたが、その願いは達せられた。これからは神に戻る。当山(傳通院)を守護し、恩に報いよう」と告げた。
そこで、傳通院の住職 郭山和尚は澤蔵司稲荷を境内に建立し、慈眼院を別当寺とした。

向学心のある狐(稲荷大明神)です。
頭の良さプラス勉学への情熱があったからこそ、3年で学べたのでしょう。

本堂前の霊窟 「おあな」の道標

本堂の前に「おあな」という道標があります。霊窟とも記されています。
案内に従って進んでいくと、崖下へ下っていく道があります。

朱色の鳥居が続く

おどろおどろしい感じがしました。
いかにも霊窟。お稲荷様がおられそうです。

この澤蔵司はそばが好きだったというエピソードも伝えられています。
澤蔵司は傳通院の門前にあったそば屋に通っていて、澤蔵司が来た日には売り上げのに必ず木の葉が入っていたそうです。そば屋の主人は澤蔵司が稲荷大明神だったことに驚き、毎朝「お初」のそばをお供えし「稲荷そば」と称したと言います。
木の葉のお金を払うところはかわいらしい感じがします。
このそば屋は「稲荷蕎麦萬盛」。今も営業を続けており、その日の初茹でのそばを毎日奉納しているそうです。

地元、小石川 江戸町火消「な組」

本堂前には「江戸消防」という碑もありました。
澤蔵司稲荷の地元、小石川は江戸の町火消し「いろは四十八組」の「な組」でした。現在は、江戸消防記念会(全体で11の区で組織)の第4区木遣親聲会が、澤蔵司稲荷で木遣りと梯子乗りの稽古そしているそうです。

澤蔵司稲荷の前の善光寺坂に大きなムクノキがあります。
推定樹齢は400年。
この木には澤蔵司が宿っているとされます。
第2次世界対戦の空襲で上の方は焼けてしまいましたが、残った部分は今も生育を続けているそうです。
まさしく神木です。

神木のムクノキ