西国三十三所番外札所・法起院

法起院本堂

長谷寺の麓にある小さな寺、法起院。本尊は徳道上人。
西国三十三所巡礼を創始した徳道上人が晩年を過ごし、遷化された寺とされ、創建は天平7年(735)と伝えられています。

徳道上人と三十三所巡礼
播磨国揖保郡矢田部で生まれる(斉明天皇2年/656年)。俗名は辛矢田部造米麿呂。
20歳で初瀬の道明上人の弟子となり修行を積む。やがて、道明上人とともに長谷寺の開基となった。
養老2年(718)寿命がつき、あの世へ向かわれたが、閻魔大王から「人々に功徳を広めるため、観音霊場を知らしめてほしい」と、起請文と三十三の宝印を授けられる。
現世に戻された上人は三十三箇所の観音霊場を定めた。
しかし、三十三所巡礼は当時の人には受け入れられず、徳道上人は宝印を中山寺に埋めた。
それから270年後、花山法皇が宝印を掘り出し、三十三所巡礼を復興させた。

徳道上人が活躍されたのは飛鳥から奈良時代です。この時代に近畿一円にある三十三所の観音霊場を巡るのは難しかったでしょう。
やはり、現代のように交通機関が発達して、だれもが行けるような時代になってこそのものだと思います。
そういう意味では、よくぞこういう壮大なスタンプラリーを考えてくれたと感謝です。

境内には、徳道上人が松の木に登り、法起菩薩となって去ったときの跡という「沓脱げの石」があります。

松の木
沓脱げの石

本堂の横には徳道上人御廟所があり、大きな十三重石塔が建っています。

徳道上人御廟所
十三重石塔

十三重石塔の横にある木は「はがきの木」といって、葉の裏に願い事を書くとかなうとありました。

この木は多羅葉という木で、葉の裏をとがったもので傷つけると、そこが黒くなって残る性質があるため、紙が普及する前は通信手段として使われていました。

多羅葉は葉書きの語源となり、平成9年(1997)に「郵便局の木」に制定されました。葉っぱに宛先を書いて120円切手を貼れば郵便物として出すこともできるそうです。

はがきの木

自分も書いてみようと思ったのですが、手が届きそうなところの葉には、すでに願い事が書かれています。それでもようやく白紙の葉を見つけ、願いを書くことができました。
ボールペンを使ったのですが、思ったよりちゃんと字が書けました。
葉っぱに願い事を書くというのはおもしろいですね。

願いが書かれた葉

法起院・徳道上人の御詠歌は「極楽は よそにはあらじ わが心 おなじ蓮(はちす)の へだてやはある」です。
「極楽はよそにあるものではなく、自分の心の中にあるのです。この世の蓮もあの世の蓮もどちらも同じ、違うものではありません」という意味だそうです。
願いや思っていることを書きだして、こういう心持ちでいるとしあわせになる気がします。