大津市坂本にある日吉大社は全国の日吉神社、日枝神社、山王神社の総本宮です。
境内には40の社があり、神様を総称して日吉大神と呼びます。
ご神徳は家内安全、安産、子育て子孫繁栄、学業成就、商売繁盛などです。
創祀は崇神天皇7年!
崇神天皇は第10代の天皇で、3世紀から4世紀に実在したと考えられています。
名は「ハツクニシラススメラミコト(初めて国を治めた天皇)」で、神武天皇と同じです。
日吉大社は京都の北東にあって、比叡山延暦寺とともに京の都の鬼門を守る神社でした。
比叡山延暦寺とも関係が深く、神仏習合により山王権現とも呼ばれました。
法皇になって院政を始めた白河法皇が自分の意のままにならないものとして「賀茂川の水、双六の賽、山法師」を挙げました。
この山法師は比叡山の僧兵のことで、彼らは日吉大社の神輿を担ぎ出して強訴をしたのでした。
元亀2年(1571)、織田信長によって延暦寺とともに日吉大社も焼き討ちにあいます。
現在の建物はその後に復興されたものです。
日吉大社は大きく分けると西本宮と東本宮にわかれています。
西本宮には比叡山の地主神・大山咋神、東本宮には大己貴神(大国主神)がおまつりされています。
山王鳥居
日吉大社のシンボルは山王鳥居です。
普通の鳥居は頭の部分が水平になっていますが、山王鳥居は屋根のようになっているユニークな形です。
西本宮の楼門
天正14年頃に建立されたと考えられています。
軒下には可愛いサルがいました。
日吉神社では猿は神の使い・神猿(まさる)、魔除けの象徴とされています。
西本宮本殿
日吉造という形式の建物で国宝に指定されています。
天正14年(1586)に復興され慶長2年(1597)に改造されたということです。
天正14年は徳川家康が上洛して羽柴(豊臣)秀吉に臣従。さらに朝廷から豊臣の姓をもらうという、秀吉絶好調の時代です。
慶長2年は朝鮮を攻める慶長の役が始まった年です。その翌年、秀吉は亡くなります。
東本宮本殿
こちらも国宝に指定されています。
文禄4年(1595)に復興されました。
朝鮮では文禄の役が続いていました。国内では豊臣秀次が切腹するという大事件が起こっています。
東本宮本殿も西本宮本殿と同じく豊臣秀吉時代に建てられたものでした。
当日は和太鼓バトルをやっていました。ドンドンという音で迫力があって、楽しそうでした。
日吉大社では西本宮や東本宮の本殿だけではなく、拝殿や樹下神社本殿など多くの建物が文禄から慶長初期に建てられています。
豊臣秀吉が生きた時代の建物がたくさん残っていることに感激しました。