継体天皇の「樟葉宮(くずはのみや)跡」が伝わる交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)を訪問しました。
3月末の、暖かくて天気の良い日で、淀川沿いの「淀川リバーサイドサイクルライン」を自転車で走りました。
菜の花や桜がちょうど満開で、非常に心地よいサイクリングロードです。


大阪府枚方市楠葉丘に鎮座する交野天神社は、桓武天皇が延暦6年(787年)に父・光仁天皇を祀るために設けた「郊祀壇(こうしだん)」が起源とされています。
また、この地は継体天皇が即位した「樟葉宮」の跡地であるとも伝えられています。

枚方市にあるにもかかわらず、神社名に「交野」が付いている理由を調べてみました。
かつてこの一帯は交野ヶ原(かたのがはら)と呼ばれ、奈良時代から明治の半ばまでの千年以上にわたり、河内国交野郡に属していたことがわかりました。そのため、今もその名が残っているとのことでした。枚方市内には、他にも「交野」の名を残す場所がいくつかあるのかもしれません。

神社周辺は閑静な住宅街ですが、一歩境内に入ると豊かな緑に包まれます。
参道脇の「薄墨桜」は五分咲きほどでしたが、その隣の枝垂れ桜は見事な満開です。
これほど美しい桜があるとは知らず、思わず足を止めて見とれてしまいました。

境内の奥へ進むと、小高い丘が現れます。ここが樟葉宮跡と伝えられる場所です。

丘の上には、貴船神社と「樟葉宮跡伝承地」の碑が建っています。

枚方市教育委員会の説明板には、次のような歴史が記されていました。
- 武烈天皇が亡くなった後、大連・大伴金村(おおとものかなむら)らは越前の三国(現在の福井県)から男大迹王(おおどのおおきみ、後の継体天皇)を迎え入れた。
- 男大迹王は樟葉宮(くずはのみや)にて即位した。
- 河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)が密使として活躍し、北河内を本拠地とする馬飼部(うまかいべ)の大きな貢献があったと考えられている。
交野天神社が樟葉宮跡であることについては諸説あるようですが、継体天皇とこの地に深い繋がりがあることは間違いありません。
長いの歴史を秘めたこの神社で、天皇ゆかりの薄墨桜や枝垂れ桜が、毎年春に花を咲かせていく。その風景は、これからも新しい歴史を静かに刻み続けていくことでしょう。


















