ハプスブルグ展

国立西洋美術館で開催されているハプスブルグ展に行きました。
上野駅から歩いて美術館まで行く間、木々が紅葉してきれいでした。

国立博物館の庭にはロダンの作品が展示されています。

地獄の門

ハプスブルグ展には多くの絵が展示されています。

青いドレスのマルガリータ王女 ベラスケス

青いドレスのマルガリータ王女はこの絵が描かれた後、13歳でオーストリアに嫁ぎます。しかし21歳の若さで亡くなられました。

マリー・アントワネット

マリーアントワネットはハプスブルク家出身です。
たくさんの人がこの絵に見入っていました。

マリア・テレジア

ハプスブルグ家はドイツ、オーストリアにまたがる領土を得た大貴族にして神聖ローマ帝国国王、スペイン国王など、多くの位を持つ中世の大帝国を築いた名門です。

なんと1200年代から第1次世界大戦まで続きました。

ハプスブルグ展に展示された絵は、年代が少し古いので印象派の明るさはありませんでした。
しかし、その点数に圧倒されます。

長い間、オーストリアに君臨した大貴族の財力、権力を感じました。

ハプスブルグ展のホームページより

※青いドレスのマルガリータ王女
フェリペ4世と、その2番目の妻で神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の娘マリアナの間の第1子。16世紀半ば、ハプスブルク家はオーストリア系とスペイン系に系統分裂し、両家間では互いの近況等を知らせる手段として肖像画が利用された。ベラスケスが晩年に描いた傑作《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》は、のちに神聖ローマ皇帝となるレオポルト1世に、まだ幼い許嫁の姿を伝えるべく制作されたものの一つ。マルガリータ・テレサはウィーンへの嫁入り後6人の子をもうけたのち、わずか21歳の若さでこの世を去った。

※マリー・アントワネット
神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア皇妃マリア・テレジアの11女として生まれる。フランスとの同盟関係を深めるため、母マリア・テレジアがフランス王ルイ15世の孫ルイ・オーギュスト(後のルイ16世)との政略結婚を推し進めた。ドイツ名はマリア・アントーニアだが、14歳の時にヴェルサイユ宮殿で結婚式を挙げて以来、フランス名のマリー・アントワネットと呼ばれることとなった。当初は熱烈な歓迎を受けたが、次第に宮廷内での軋轢が生まれる。1789年のフランス革命勃発後、パリから脱出を図るが拘束され、革命裁判で死刑判決をうけ、ギロチンの露と消えたことはあまりに有名。

※マリア・テレジア
神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、18歳でロートリンゲン公のフランツ・シュテファンと結婚。当時としては珍しい恋愛結婚だった。父カール6世の死後、領地を相続。その後度重なるハプスブルク家の難局を乗り切り、優れた政治的手腕で広大な領土を統治したことから「国母」と慕われた。夫との愛を貫き、夫の死後は喪服以外を身に着けることはなかったとも言われる。16人もの子に恵まれ愛情を注いだ一方で、マリー・アントワネットら自分の娘たちを政略結婚させてでも国を守った、「女帝」としての非情さも持ち合せた。