林田藩の大庄屋であった三木家の住宅を訪れました。
三木家は江戸時代のセレブリティ。たいへんなお屋敷です。
門構えからすごいですね。
部屋も何室あるかわかりません。一室一室が広いです。
母屋の天井。梁の大木がすごい。台所の天井の梁は防火のために土が塗られていました。
離座敷は落ち着いた品があります。湯殿はサウナ式です。
米蔵が並んでいます。昔はこの中に米俵が積まれていたんでしょう。
文化財
建物だけではなく、いろいろな文化財が展示されていました。
まず、江戸時代の林田藩城下町が描かれている「播州林田之図」です。
この図を見ると林田藩の街の様子がわかります。
次は林田八景図。
藩札もありました。
林田藩の藩札だけではなく姫路藩の藩札、さらには亀山御坊(亀山本徳寺)が発行した寺社札もありました。
寺社札というのがあるのは意外でした。
農民の暮らし
江戸時代の農民の道具も展示されています。
おばあさんが俵を作っています。江戸時代の林田では、必要なものは自分で作っていたのでしょうね。
駕籠も展示されていました。大庄屋様が乗ったのでしょう。
駕籠も将軍、殿様、富豪の町人、庶民によって構造に違いがありました。
三木家は町人なので法仙寺駕籠や切棒駕籠と言われたクラスの駕籠ではないかと思います。
三木家は英賀城主三木氏の出自と伝えられています。
天正八年(1580)に英賀城が落城したときに、英賀城主三木通秋の弟・定通が林田に移り住み、三木家の祖となりました。
英賀から林田までは約17km。そんなに離れていません。
秀吉が定通を見逃したのは、なにか理由があったのでしょうか。