姫路青山・稲岡神社

稲岡神社は播磨風土記の十四の丘の一つである稲牟礼丘(いなむれがおか)に比定されている稲岡山にあります。
御祭神は豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)と射目崎大神(いめさきのおおかみ)です。

射目崎明神は、神功皇后が放った矢が落ちたいう矢落の森に鎮座されていましたが、洪水のために稲岡神社に遷られたようです。

稲丘は「播磨国風土記」の14の丘の一つ(稲牟礼丘)。祭神は豊受姫大神・射目崎明神とあり、射目崎明神は「日本三代実録」貞観10年(868)の条にみえる国史見在神。当社より北方に祀られていたが、のちに稲岡神社に合祀された。

姫路市webマップより
一の鳥居
稲岡射目崎(いなおかいめさき)神社を示す石碑

「三代実録」貞観十年(868)条に射目崎明神が見えることから国史見在社といいます。

拝殿

たくさんの絵馬が奉納されてます。

江戸時代の絵馬もありました。約350年前の絵馬です。

延宝三年(1675)神馬図絵馬
元禄十二年(1699)神馬図絵馬
天保三年(1832)の絵馬
お蔭参り絵馬

お陰参りとは伊勢神宮へ集団で参詣することで、江戸時代の終わりごろに流行したようです。

文政13年(1830)全国的に流行したお蔭参りの情景と雰囲気をよくあらわし、多少の補筆はあるがこれほど精密で迫力のある図は珍しい。
画面上部に青山の遠景、中央に武者2人を配し、その下に「おかげ」と書いた幟を随所に立て、老若男女、子供までが加わり、しりからげした人、荷物を背負う人、白い脚絆に草履履き、菅笠を被り、柄杓を持ったり腰にさしていて各人各様の姿態で描かれている。人々の笠にはそれぞれの名前が書かれ、一村まとまったお蔭参りの熱狂が伝わるものである。

姫路市ホームページより

寛永三年奉納の青山八景

青山八景とは当時の姫路藩主・榊原政邦が宝永二年(1705)に青山の景勝地8か所を選び、「南海標船」、「歌書秋月」、「季奥疎鴈」、「遠地風鐘」、「義舎夜雨」、「夢前漁火」、「錦戸春雪」、「山社晴風」と題して漢詩と和歌を詠んだものです。

稲岡山はいろいろな話がつまった場所でした。

※播磨風土記の十四の丘
船丘、波丘、琴丘、匣丘、箕丘、日女道丘、藤丘、石丘、稲牟礼丘(稲岡)、冑山、鹿丘、大丘、甕丘、筥丘

※稲牟礼丘(いなむれがおか)
稲の落ちた丘