小野樫山・義経の足跡

加東市三草山で源平の戦いがあり、負けた平家と勝った源義経にまつわる話が小野市樫山に残っています。

一の谷への移動ルート

福原に陣を構える平家を、源氏は軍を二つに分けて挟み撃ちにしようとしました。
源範頼が大阪方面から進軍し、東から福原を攻める。
源義経が丹波から南下して、西から福原を攻める作戦でした。
丹波を移動してきた義経は三草山で平資盛を破ります。
破れた平資盛は加古川沿いを敗走。義経軍はほぼ真っすぐに南下しました。(小野市好古館に展示されている資料より)

源平の移動ルート(小野市好古館より)

小野市樫山は右図の「資盛等敗走※」の「走※」のあたりに位置します。

泣きの白拍子

泣きの白拍子は義経に負けた平家側の話。白拍子なので女性の話です。

泣きの白拍子の碑
ぽつんと小さな石碑がたってます

次のような話が伝えられています。

源平合戦のおり、一人の白拍子が恋する侍を追ってやってきた。
しかし侍に会えない悲しみに昼夜を問わず泣き続ける。
とうとう「親切にしてくれたお礼に、夜泣きで苦しむ子供たちを、治してあげましょう」と言い残して息を引き取った。
村人たちは白拍子の亡骸を木の下に埋め、祠を建てた。
それから夜泣きをする子供を連れてここを参ると必ず治ると言われ、夜泣きの神様として信仰を受けている。

戦に破れた平家の話は悲しい。

義経の腰掛岩

義経の腰掛岩は神戸電鉄粟生線の樫山駅の近く、線路脇にあります。
腰掛岩に行くには民家の庭先から入っていくしかなく、少し心が引けます。

義経が腰を掛けたという腰掛岩は少し平べったく大きな岩です。
この周りには岩はなく、この岩だけが大きい。
ここは少し小高くなっているので、周りの木々がなければ周りを見渡すことができそうです。大将の義経が座ったとしてもおかしくないような気がしました。

腰掛岩

国位田碑

腰掛岩から加古川方面に少し行ったところに国位田碑があります。
一の谷へ向かう義経一行が土地のおばあさんから「ハッタイ粉」を食べさせてもらったという話が伝えられています。

ウィキペディアによると、ハッタイ粉とはオオムギの玄穀を焙煎した上で挽いた粉のことです。
素材の甘みがあり香ばしさがある。保存性がありながら、いつでも食べられる簡便食、携行食として重宝されている。

行軍するのにピッタリの食べ物のようです。しかも美味しそう。

碑には以下のように書かれています。

一ノ谷へ向かう途中、この地で休んだ源義経一行が、付近に住むおばあさんからハッタイ粉を食べさせてもらい、一の谷を落とすことができた。
勝利のお礼として六畝歩の田と永代に渡る年貢の免除を与えたとのことです。年貢の免除は明治9年(1876)まで続いたそうです。

土地を与え、税を免除するとは。
よほどハッタイ粉が美味しく、力が湧き出て、一の谷の合戦に勝ったからでしょうか。
ハッタイ粉恐るべし。

粉喰坂・亀井が淵

国位田碑からさらに加古川の方へ進むと粉喰坂(こくいさか)、亀井ヶ淵があります。

一の谷へ向かう義経一行が老女に道を訊ね、空腹のために食物をこうたところ、老女ははったい粉を作ってくれた。義経らはハッタイ粉で空腹を満たし、近くの湧き水で喉を潤し、坂道を登った。
湧き水は、義経の家臣の亀井六郎という弓の名手が山麓めがけて矢を放ったところ、不思議なことに岩間より湧き出した。

そのときの坂が粉喰坂、湧き水が亀井が淵と言われています。
亀井が淵は石碑から約100m、山の方にあります。

小さな池
水はきれいな感じでした

亀井が淵の話は謡曲「清房」にも取り入れられているとのこと。
謡曲「清房」で調べてみました。
「平清盛の八男・清房。一ノ谷の戦では、若狭守経俊、尾張守清貞とたった三騎で敵陣に突入。さんざんに戦った末に討ち死」
勇ましい武将だったようです。

弁慶の重ね石

弁慶の重ね石は加古川沿いにあります。
ハッタイ粉で満腹になった弁慶が石を投げて積み重ねたという伝説です。

山を20mぐらい登るのですが、階段などはなく、木も多いので登りにくいです。

重ね石への登り口
重ね石

石は大きく、重ねて積まれたように見えます。
この大石を投げ飛ばした弁慶はすごい。このパワーを引き出したハッタイ粉はすごい。

上述の「一の谷への移動ルート」だと、重ね石があるところは平資盛が敗走したルートに重なりますが、樫原はルートから離れていて、樫山の義経伝説と少し矛盾を感じます。
実は、三草山の戦いに勝利した義経が、一の谷・鵯越の戦いの前に神戸市藍那に来たのは確かなようですが、三草山から藍那までの行軍ルートははっきりしていません。
好古館のように三草山から藍那へ直進するルートや三草山〜樫山〜三木〜藍那ルートなどが考えられています。
一の谷の逆落としの場所そのものも、神戸の須磨?長田区の鵯越付近?で決着がついてません。
こういう謎が残っているのが、義経伝説の楽しいところだと思います。