小野藩一柳家の陣屋跡にある好古館。
小野市の歴史、地理が展示されています。規模は大きいわけではないけれど、たくさんの展示物がありました。
浄土寺・阿弥陀三尊立像
入口を入ると浄土寺の国宝・阿弥陀三尊立像が迎えてくれます。
浄土寺の模型があります。
浄土寺を造った重源
宋へ3度渡ったことがあり、そこで建築技術などを学んだという少し謎めいた人物です。
- 治承四年(1180)平重衡により東大寺焼失
- 養和元年(1181)重源61歳にして東大寺の復興を任されます。重源は高野や醍醐などを勧進で復興させた実績がありました。
- 建久元年(1190)東大寺大仏殿棟上げ。建久三年(1192)浄土寺を建て始める。
- 建久六年(1195)大仏殿落慶供養が行われました。源頼朝も北条政子とともに出席しました。
- 建久八年(1197)浄土寺落慶。
- 建仁三年(1203)東大寺復興事業が完成し、東大寺総供養が行われました。
- 建永元年(1206)死去
61歳からの活躍がすごいです。
今でも定年などで、第一線を退く年齢です。当時の人の寿命を考えると、ものすごいエネルギーに溢れた人だったと思います。
小野市の古墳や出土品
小野市は古くから栄えた地で、多くの古墳が残っています。
江戸時代
鎧、裃などが展示されています。
「一に釘抜紋」は小野藩主一柳家の紋です。この鎧(具足)は戦が起こった場合の備えとして小野藩が下級武士に貸し出すために用意していたそうです。
裃はテレビの時代劇で見たことがありますが、本物は初めて見ました。
裃は武士の略礼服という説明がありました。
この裃は小野藩家老を務めた伊東家に伝わったものです。
裃は幕末頃に羽織袴に代わっていき、慶応3年(1867)大政奉還以降は公人が裃を着用することが禁じられたということです。
現代
小野市出身の藤尾勝治郎が描いた「父と子」や歌人上田三四二の「橋」などが展示されています。

樫山 山ノ神社に三四二の歌碑があります。

意外と言っては失礼だが、好古館は充実していて楽しかった。
それぞれの市、町にある博物館めぐりも楽しそうです。