小野・浄土寺

兵庫県加西市にある浄土寺。
重源上人による開山で、創建は建久4年(1194)。鎌倉幕府がスタートして間もなくの頃です。
浄土堂と阿弥陀三尊立像は創建時のまま残っています。

浄土堂と阿弥陀三尊立像

浄土堂

国宝の浄土堂は大仏様(天竺様)という建築手法が用いられています。
これは重源上人が中国(宋)に渡って学んできた手法でした。
大仏様の建築で残っているのは、この浄土堂と東大寺南大門のたった二つだけとのこと。
浄土堂はそういう意味でも大変重要な建築物だそうです。

浄土堂の中に入ると、大仏様の構造をはっきり見ることができます。
天井がなく、屋根裏が丸見えであること、柱と横梁の差し込み方や組み合わせ方など、素人が見ても特殊な構造だと思いました。天井がないので建物内部の空間を広く感じました。
建物内部は写真禁止なので撮影できませんでしたが、建物外部の梁を見ることができます。下の写真のように何段にも梁が積み重ねられて屋根を支えています。

そして、浄土堂の中に立っておられるのが阿弥陀三尊像です。鎌倉時代の仏師 快慶によって造られたもので、国宝に指定されています。

中央の阿弥陀如来像は高さ5.2メートル。両脇の観音菩薩、勢至菩薩像は3.7メートルもあり、大迫力です。窓から差し込む光で輝きます。
下の写真は説明看板にあったものです。西方の窓から西日の光が差し込むと阿弥陀像の後ろから光が反射して西方浄土からの来迎の姿として浮かび上がるそうです。

阿弥陀三尊像

訪問した日はちょっと曇っていて、浄土堂内は薄暗く、光り輝く光景を見ることはできませんでした。できれば、冬より夏の夕方に来るとよさそうです。
それにしても、光の効果まで考えて建物や仏像が配置されているとは。よく考えられています。

薬師堂

薬師堂は浄土寺の真正面に相対する建物で、浄土寺の根本中堂です。
浄土堂と同じく重源上人によって大仏様で建立されましたが(建久8年 / 1197年)、室町時代の明応7年(1498)に焼失し、永正14年(1517)に再建されたものです。
大仏様に加えて和様、唐様の折衷形式の建物となっています。

薬師堂

浄土堂と薬師堂は、西に来世の西方極楽浄土を表す浄土堂、東に現世の東方浄瑠璃世界を表す薬師堂と考えて、この配置になっているそうです。
阿弥陀像が光り輝いて西方浄土からの来迎の姿となるというのは、浄土寺のコンセプトにマッチしているのですね。

開山堂

開山堂も薬師堂と同じく明応7年(1498)に焼失し、永正14年(1517)に再建されたものでした。ここには重源上人座像が安置されています。

開山堂

重源上人については小野市の好古館に詳しい説明がありました。

  • 保安2年(1121)重源上人誕生
  • 治承4年(1180)平重衡により東大寺焼失
  • 養和元年(1181)重源61歳にして東大寺の復興を任される。重源は高野や醍醐などを勧進で復興させた実績があった。
  • 建久元年(1190)東大寺大仏殿棟上げ。建久三年(1192)浄土寺を建て始める。
  • 建久6年(1195)大仏殿落慶供養が行われました。源頼朝も北条政子とともに出席した。
  • 建久8年(1197)浄土寺落慶。
  • 建仁3年(1203)東大寺復興事業が完成し、東大寺総供養が行われた。
  • 建永元年(1206)重源上人死去

61歳から85歳で亡くなるまでの活躍がすごい!
現代ならまだしも、鎌倉時代にこんな年齢で活躍できたのはすごいと思います。怪物です。

八幡神社

浄土寺の鎮守社として嘉禎元年(1235)に建立されました。
創建時のものは残っておらず、現在の拝殿、本殿は室町時代の建築のようです。

八幡神社

四国八十八ヶ所霊場

浄土寺の裏山は四国八十八ヶ所霊場巡りができるようになっています。
八十八ヶ所の祠は文政年間(1818〜1831)に作られたもので、それぞれ札所の本尊と弘法大師像の二つの祠が並んで建てられています。
このコースの距離は1.5キロメートルあり、徒歩で約30分かかります。
約3千株ものアジサイが植えられており、初夏の季節は花が咲いてきれいとのこと。
冬はちょっと寂しいですね。

四国八十八ヶ所霊場巡り
二つの祠が並んでいる

阿弥陀三尊像の光の演出や、四国八十八ヶ所霊場のアジサイなど、どうも浄土寺は春から夏の季節に訪問するのがよさそうです。
その頃に、もう一度来てみたいと思いました