姫路から平福までサイクリングしました。
約55km。今までで最長。
こんなに長い距離を走るのは初めてなので、無事にたどり着けるか、少し不安。
たつのに出て179号線を北上、揖保川沿いを走りました。
179号線沿いには播磨風土記のにまつわる碑が建てられていました。
風土記 狭野村の石碑
觜崎の屏風岩
風土記 越部里の石碑
越部里と栗栖里の境界に建てられていて、越部里はここから南側を言うそうです。
もとの名は皇子代里(みしろさと)。土壌は中の中。皇子代の地名は安閑天皇に気に入られた但馬君小津が皇子代の姓を賜り、屯倉をこの地に造って天皇に仕えたことに由来する。
のちに国主の上野の太夫が越部里と改めた。
道の駅しんぐう
千本本陣
千本をすぎるとだんだん山の中に入っていきます。
播磨風土記 栗栖里の石碑
相坂峠
頂上付近に後鳥羽上皇が詠んだ「立帰り越しゆく関と思はばや 都に聞きし逢坂の山」の碑があります。
三日月
やっとの思いで相坂峠を超えると三日月に着きました。三日月のマークが見えます。
ここは森蘭丸の一族である森家が治めた所。立派な陣屋(乃井野陣屋)があります。
三日月を過ぎて最後の難所、佐用坂を登ります。疲れました。
平福
宮本武蔵初決闘の地がありました。
武蔵13歳のとき、ここで初めて決闘をし、有馬喜兵衛と戦いました。
五輪書には次のように書かれています。
我若年のむかしより兵法の道に心をかけ 十三才にして初めて勝負を為す。
五輪書より
その間、新当流有馬喜兵衛と伝ふ兵法者に打勝ち。
決闘の地を通り、平福の街へ入っていきます。
とうとう、平福陣屋跡に到着。
走り切ることができた!よかった〜