明石・人麿山月照寺

月照寺は人丸山にある曹洞宗のお寺です。
歴史は非常に古く、お隣りの柿本神社と深い関係があります。

月照寺の歴史

弘仁二年(811)
仁和三年(887)

天正二年(1574)
元和八年(1622)
延享元年(1744)
明治四年(1871)
弘法大師 空海が現在の明石城祉に楊柳寺を創建。
寺号を月照寺と改める。
住職の覚証が夢のお告げに従って柿本人麻呂を祀り、人丸社ができる。
真言宗から曹洞宗に改宗。
現在地に移転。
山号が人麿山と改められる。
神仏分離令により人丸社は月照寺より分離して柿本神社となる。

月照寺の住職が柿本人麻呂の夢を見たことが契機で柿本神社(人丸社)ができ、もともとは月照寺と柿本神社は一体だったのです。

月照寺山門

もとは秀吉が建てた伏見城の薬医門でした。
明石城主 小笠原忠政が徳川秀忠からもらい受け、元和四年(1618)に明石城の切手門となりました。
さらに、明治六年(1873)月照寺に移築されました。

月照寺山門

本堂の前に梅が咲いていてきれいでした。
また、赤穂浪士・大石内蔵助ゆかりの「八房の梅」という梅がありました。

八房の梅

八房の梅
元禄十五年(1702)大石良雄(大石内蔵助)と間瀬久太夫が主君の仇討ちの成功祈願のため、月照寺へ参拝しました。
その際、間瀬久太夫が祈願の証として持参の梅を移植しました。この梅は一つの花から八つの実を結ぶので八房の梅といいます。現在の木は三代目です。

八房の梅は柿本神社にもあります。

寿の姿を表している「幸福長寿の黒松」という「壽祥松」という松もあります。
確かに「寿」の形になっています。

壽祥松

お隣の柿本神社もそうですが、梅の花が咲く頃に行くと非常にきれいです。
でも、なぜ覚証住職は柿本人麻呂公の夢をみたのでしょうか。
歌のことを考えることがあったのかな。