将軍義教の首塚・安国寺

室町幕府第六代将軍・義教の首塚がある加東市の安国寺を訪問しました。

足利尊氏、直義の発願により南北朝の戦没者供養のために全国の国ごとに安国寺と利生塔が建立されました。
この安国寺もその一つです。

延元四年/暦応二年(1339)に開山。本尊は十一面観音菩薩です。

安国寺の方へ通じる道に嘉吉史跡の石碑がありました。
嘉吉の乱は、嘉吉元年(1441)に赤松満祐が将軍足利義教を暗殺したことにより始まります。
満祐は義教の首を持って、赤松家の拠点であった堀殿城(河合・小野市)に帰ります。その後、足利ゆかりの安国寺まで大行列で運び、播州の禅僧を多数集め、盛大な法要を営んで葬ったと伝えられています。

嘉吉の乱、三木城攻めや江戸時代でも火災にあい、今の本堂は明治29年(1896)に再建されたそうです。

将軍・義教の首塚は本堂裏にある池のほとりの丘にありました。

首塚の宝篋印塔。高さは1.7m。塔の様式や手法は室町中期のものに一致しているそうです。

将軍を殺された幕府軍は赤松征伐を開始します。赤松の政敵であった山名宗全は赤松征伐の先頭に立ちました。摂津から細川勢、但馬、美作から山名勢が播磨に侵攻。赤松勢もこれを迎え撃ちますが、破れていきます。
追い詰められた満祐は9月10日城山城(たつの市)で自害します。
この戦いで赤松家は一旦滅亡し、山名宗全が播磨守護になります。

このあと、羽柴秀吉による播磨平定まで、播磨は大混乱し、誰が味方で誰が敵かわからないような戦いが繰り広げられました。