義経道・掎鹿寺

義経道の伝承がある掎鹿寺を訪問しました。
本尊は十一面観音菩薩立。播磨西国三十三箇所観音霊場の二十二番札所です。

掎鹿寺のある掎鹿谷は播磨風土記の賀毛郡端鹿里と考えられ、掎鹿(はしか)という地名について話があります。

端鹿の里。土は下の上。神様が村々に木の実を分け与えていました。ところが、この村に来たときに足らなくなってしまった。神様は「足らなくなってしまったなあ」とおっしゃった。そのために端鹿と名付けられた。この村では今も山の木に実がならない。

一之宮神社

掎鹿寺へ向かう坂道を登っていくと一之宮神社があります。
御祭神は素盞嗚大神(スサノオノミコト)、大国主大神、事代主大神です。

一之宮神社
正徳四年(1714)に再建された社殿

神社の説明板によると、「出雲の国に天降られた素戔嗚命が諸国を巡歴したしたとき、当地でご休憩されたので素盞嗚命をお祀り申し上げた。その後、第10代天皇・崇神天皇の時代に大国主大神と事代主大神を合祀した」と記されています。
崇神天皇となると神様の時代。ウィキペディアによると在位が紀元前97年〜紀元前30年。
素盞嗚命をお祀りしたのは、さらにその前なので非常に古くからある神社です。
村々に木の実を配っていたのは素盞嗚大神だったのでしょう。ここに来たときに配るものがなくなってしまったというのはちょっとユーモラスな感じもします。

掎鹿寺

一之宮神社から更に登っていくと掎鹿寺の下院である南蔵院に到着します。

南蔵院への入り口
南蔵院

南蔵院から山道を登っていきます。

5分ほど歩くと掎鹿寺本堂に到着します。

掎鹿寺の創建は聖徳太子とされています。

聖徳太子がこの地に来られたとき、負傷し死に瀕した白い鹿を見て薬師如来に祈願したところ、傷がたちまちにいえたことから山号を白鹿山とし、薬師如来の聖像を彫って安置した。

道を挟んで納経所、大乗院があります。

いろいろな像、句碑が並んでいました。

大乗院と本堂の間に義経道があります。

義経道
三草山へ続く道

三草山での戦いに勝った義経軍は掎鹿寺まで移動してきます。
掎鹿寺に着いた義経軍が「綿のように疲れてコンコンと眠り続けた」という伝承があるそうです。
三草山で、義経は平家を夜襲して勝利しました。眠らずに戦い、その後安全なところまで移動して眠ったと考えると、この伝承は信ぴょう性があるように思いました。