加西市の山下城を訪問しました。
田福寺常行院の門前にある看板によると次の説明がありました。
常行院の南東の丘陵 (通称城山) に、「播磨鑑」 によると浦上久松 (1570年代)の居城として ”中世城郭遺跡” があります。
平成21年3月 加西市市史・文化財室の調査によると、この丘陵は、規模が大きく本丸も広い面積で立派な城郭を有する山城(山下城跡)であることが分かりました。
そこで、里山ふれあい森づくり (住民参画型)事業を実施し、平成19年度に落慶した常行院本堂とともに、この周辺を山下西町の「歴史遺産地区」に、また、山下城跡 を「ふれあいの森」として整備しました。
調べてみると、浦上久松丸という戦国武将がいました。父は浦上誠宗、母は黒田職隆の娘とあるので、黒田官兵衛の甥に当たる可能性があります。父の仇を討って浦上宗景を滅ぼし、浦上氏の家督をついだが、宇喜多直家に毒殺されたようです。しかし、記録が少なく、その記録も混乱しているようで謎の人物とのことです。
常行院の先にある遊歩道から入っていきます。
城へ登る歩道は整備されていて、歩きやすい。
頂上は本丸で、二の丸が少し下にありました。
頂上は広く平坦で、山下城の縄張りを示す看板があります。
天文元年(1532)頃に築城され、永禄9年(1566)頃には、三木の別所氏の兵站拠点基地として改修され、天正6年(1578)まで城として存在していたとのことです。
天正6年は別所 vs 織田(秀吉)の三木合戦がスタートした年です。別所に味方した山下城は秀吉に攻められたのかもしれません。