姫路・櫃倉神社

恒屋城を見に行ったときに櫃倉神社に寄りました。
神社の前の姫路市教育委員会の説明看板には、次のような説明がありました。

この神社は、中央に豊受姫大神、 左右に天神地祇を祀る北恒屋の氏神です。
昔、西方の棚原山頂上に棚原明神として、豊作の神が祀られ、雨祈願に各地から参拝がありました。
恒屋城の落城した頃から、村人が棚原明神の神具蔵(植倉)に移して祀るようになったため、植倉神社 と呼ばれるようになったと伝わっています。
『播磨鑑」には神功皇后が三韓征伐に当たって、棚原山上で七重の注連を張り、天神地祇を祭られたと記されています。
後略

神様について調べてみたら、豊受姫大神は食物の神様。天神地祇は全ての神々ということでした。
天神地祇の天神は天の神、地祇は国土の神。天神地祇と書いて、全ての神様をお祀りしているということのようです。

また、姫路市のWebマップによると以下の情報もありました。

  • 応神天皇(仁徳天皇の父)の時代西暦300年代の終わり頃、棚原明神の東方面の参拝口として、祠が造られたのが始まりと伝わる。
  • 置塩城が開城の時、本丸跡にあった守護神の豊受姫大神は当社(櫃蔵神社)と糸田の柏森神社、香寺町恒屋の櫃倉神社の三所に分祀された。

歴史のある神社のようです。

鳥居
社殿

拝殿には祭り屋台の写真が飾られていました。

恒屋城復元図

明治27年に櫃倉神社を改築したときに、境内の大木の根を掘り起こすと石の波上不動明王の像が発見されたそうです。その後、土地の守り神として、戦前は出征する兵士のお守りとして、戦後は農作業の安全、交通安全、家内安全の神として祭られ、現在は入学試験、出産などの護身の神としてお詣りされているそうです。

祭りの写真や波上不動明王とかの説明から、地域の人たちを結びつける役割を担っている神社だと感じました。