弁慶の母の墓・姫路北野神社

姫路市置塩にある北野神社。

ここには弁慶の母親の墓と伝えられる墓石が残っています。

北野神社 ごうりんさん

祭神、菅原道真、社殿は昭和四十七年(一九七二年) に解体修理、その時棟札に元録十三年 (一七〇〇年) 再建と記してあった。 沿革、巨智太夫延昌の創建といわれているので円教寺などと同じ頃紀元一〇〇〇年前後であろう。以前は玉田神社と大明神社または十所権現などといって、祭神も不詳であったらしいが明治に入って社名は北野神社と改め祭神も菅原道真と決定した。

ごうりんさん、境内の東南すみに砂岩長円形の墓石のようなものがある。弁慶の母親の墓で若し家族に病人があると、この墓石を削り取って飲むと効験があるといい伝えている。この墓石は村翁夜話集には「熊野別当弁信の墓といい伝えている。」と書かれている。 (町史による)

置塩或夢プラン実行委員会

神社境内の説明葉により

ここに出てくる巨智延昌(こちのえんしょう)とは平安時代に播磨大椽(はりまのだいじょう)という役職についていた人物です。
巨智延昌は北野神社以外にもいろいろな寺を設立しています。
・弥勒寺本堂(長保4年 / 1002)
・昌楽寺(寛和元年 / 985)
・多聞寺(本誓寺の前身)
・飾西・笠寺

北野神社社殿

境内の隅に、弁慶の母の墓石がありました。弁慶の母は紀州の人、父は熊野別当弁信というのが定説?のようです。

言い伝えではこの墓石は「弁慶の母の墓」といい、播磨の地誌『村翁夜話集』(天明年間に書かれた)では父親の「熊野別当弁辰の墓」と、母と父が入れ替わっています。

弁慶の母の墓石

書写山で修行中の弁慶がけんかして、講堂が燃えてしまったという話。姫路別所の弁慶地蔵には庄屋の娘と一夜をともにした、さらに母親は別所の出身だったという話が残っています。

弁慶は本当に実在して、姫路にも来ていたのかもしれないと思いました。