後藤又兵衛生誕の地 姫路市山田

姫路市山田は後藤又兵衛基次の生誕の地です。後藤又兵衛は「槍の又兵衛」の名を持つ戦国武将です。

又兵衛は永禄3年(1560)播磨国神東郡賀茂郷山下で生まれます。
父は後藤新左衛門基信。別所氏の家臣です。
成長した又兵衛は春日山城の出城であった南山田城の城主になったようです。
天正9年(1581)頃からは黒田官兵衛に仕える。
その後、黒田家の家臣として九州征伐、朝鮮出兵、関ヶ原の戦いなどで武功を上げます。

しかし、慶長11年(1606)、官兵衛の息子・黒田長政との関係が悪化。又兵衛は黒田家から出奔。
黒田長政から奉公構が出されていたため、他の大名に仕えることができませんでした。
そして、慶長19年(1614)、大阪冬の陣で豊臣秀頼の招きを受けて大阪城に入ります。
翌、元和元年(1615)、道明寺の戦いで徳川側の水野勝成、本多忠政、松平忠明、伊達政宗などの軍と激戦。討ち死にを遂げました。

南山田城跡

こんな有名な武将が姫路にいたことを知りませんでした。南山田城跡が姫路市山田にあるということなので、行ってみました。
人家の中に小さな丘があります。ここが南山田城跡でした。いまは公園になっています。

南山田城跡

公園の片隅に後藤神社が建てられています。

天明6年(1786)、大谷長左衛門という人が建立したようです。

後藤神社

説明看板には3段の平坦地があり、土塁の跡もあると書かれていましたが、城跡らしきものはわかりませんでした。

福田寺

次に福田寺へ行きました。
ここには又兵衛の親の供養塔があります。

明治5年の学制発布により、明治6年に小学校ができたとき、福田寺に南山小学校が設置されたそうです。
この時代、お寺は教育機関でもあったのでしょうか。

山門前の後藤又兵衛顕彰碑
山門
本堂

お寺の奥の方に後藤又兵衛父母の供養塔があります。
又兵衛の父は南山田城主ですが、供養塔は小さなものでした。父は三木の別所氏の家臣でした。別所氏は秀吉に滅ぼされました。そういう関係から、派手なことはできなかったのかもしれません。

蛇塚

南山田城の北 100m ほどのところに蛇塚というのがあります。

人家の裏に大きな岩がゴロゴロ集まっているところがあり、そこが蛇塚でした。

「明治のかたりべ集」という昔話を収集した本によると、次のような話が出ていました。

南山田の池田というところに大蛇が出て、田畑を荒らしていた。その頃、後藤又兵衛が射場で弓の稽古をしていた。この話を聞いた又兵衛は、蛇を退治してやると言ったが、蛇がなかなか出てこなかった。
あるとき、とうとう蛇が出てきた。
それを聞いた又兵衛は城山から池田の方をめがけて矢を討ったところ、見事命中。蛇を退治した。

蛇はあまりに大きかったので、頭を寺垣内へ、胴体を四畑に、尻尾は奥の谷に埋めた。それでこのあたりを蛇塚というそうです。

このあたりは、後藤又兵衛を中心にして色々な伝承があるようです。地元のヒーロー、スーパースターは大事な存在ですね。