相生・大避神社

坂越にある大避神社は有名ですが、相生にも大避神社があります。

神社は道の駅あいおい白龍城の向かい、相生市中央公園の奥にご鎮座されています。
白龍城は相生で盛んなペーロン競技発祥の中国を意識した形をしています。白龍城の南側は海。白龍城へは海からアクセスすることもできます。

白龍城
船をつけることができる

中央公園の入り口の石碑には次のように記されています。

秦河勝播州漂着について能楽書「風姿花伝」に摂津国難波の浦よりウツボ船に乗りて風にまかせて西海に出ず。播磨国坂越の浦に着くとあり。一方「明宿集」では「業を子孫に譲りて世を背き、空舟に乗り。西海に浮かびしが播磨の国南波尺師の浦に寄る。(中略)その後、坂越の浦に崇め、宮造りす。と載せる

「明宿集」に従えば、秦河勝は相生に漂着してから坂越に移ったことになります。

※風姿花伝:世阿弥が書いた能の理論書。 15世紀の初めに書かれた。
※明宿集:室町時代の能楽師 金春禅竹によって書かれた能楽理論書。善竹は世阿弥の娘婿。

公園を奥に進んでいくと、蒸気機関車の先端部分だけが展示されています。

昭和58年に日中国交正常化10周年記念事業として開催された中国鉄道博で来日した蒸気機関車です。 その後、相生に移され、平成18年3月まで展示されていましたが、老朽化が進んだので先端部分だけの展示になったようです。

中国蒸気機関車が相生に来たのはペーロン競技が盛んだったからとのこと。なにか特色のあることが盛んだったら、そこからつながりができる例ですね。

更に奥に歩いていくと社殿が現れます。

拝殿横の碑には風姿花伝の一節が刻まれています。

上手は下手の手本なり
下手は上手の手本なり
初心を忘れるべからず

「風姿花伝」では、能の全身である猿楽を秦河勝が創ったと記されています。そのため、河勝は能楽の祖としても崇められています。

神社内に掲げられた由緒にな次のことが記されていました。

  • 御祭神は大避大明神(秦河勝)。
  • 蘇我入鹿の迫害を避け、西国に逃げる途中、南波尺師浦(この神社の境内から南へ続く岬で白鷺の鼻)に漂着した。
  • この地で村人に漁法、酒造、養蚕などを教えた。
  • 河勝はその後、坂越に移り住み、そこで生涯を終えた。
  • 村人は河勝のご神徳を深く信じ、河勝上陸のこの地に祠を建てて祀った。
  • 貞観年間(859〜877)、赤穂郡の長官であった秦造内麻呂が氏神とした。

坂越、相生だけではなく、相生・赤穂・上郡・千種川流域に多くの大避神社があります。この地方には秦氏の勢力が強かったことを示しています。秦氏は千種川上流で鉄を採っていたという説もあります。
秦氏、河勝には色々な謎がありそうです。

河勝はこの浦にやってきた?