聚遠亭・紅葉谷

紅葉狩りに龍野の聚遠亭、紅葉谷に行ってきました。

聚遠亭はたつの市鶏籠山にある龍野藩主脇坂家の上屋敷跡の庭園です。庭園内には浮堂、茶室、御涼所(おすずみしょ)という建物、井原西鶴や三木露風などの句碑があります。
「聚遠亭」という名前は、庭園から城下町越しに瀬戸内海や淡路島、家島諸島を望める素晴らしさから、老中松平定信が「聚遠の門」と呼んだ事から名付けられたそうです。

聚遠亭は龍野城の方から10分ほどの鶏籠山を少し登ったところにあります。
ふもとから石段を上がっていきます。

聚遠亭

聚遠亭に入ると、心字池と浮堂が目に入ります。きれいです。

龍野藩主・脇坂安宅公が京都所司代の職にあったとき、炎上した御所の復興に功績があったということで、孝明天皇から茶室を賜り、心字池上に浮堂として移築したものと伝えられています。

心字池の左手に三木露風の詩碑、五十嵐播水の句碑があります。

三木露風の詩碑には「ふるさとの」が刻まれています。

  ふるさとの 小野の木立に
  笛の音の うるむ月夜や
  小女子は あつき心に
  そをば聞き 涙流しき
  十とせ経ぬ 同じ心に
  君泣くや 母となりても

三木露風 「ふるさとの」詩碑

五十嵐播水(明治32年~平成12年)は姫路出身の俳人です。

  鶯や
  聚遠亭の
  雨の客

五十嵐播水句碑

浮堂の隣の建物は茶室「楽庵」です。
裏千家家元15世千宗室に命名していただいた本格的な茶室ということです。

浮堂と楽庵の間に井原西鶴の句碑があります。

 花ぞ雲
 動き出たる
 龍野衆

井原西鶴が元禄4年(1691)、俳友の龍野法雲寺住職・御風山春色を訪れ、そのときの句会で詠んだ句です。

井原西鶴句碑

「楽庵」の隣には「御涼所」が建っています。「御涼所」は龍野藩主脇坂氏の別邸で、江戸時代中期に建設されました。

「御涼所」は中に入ることができます。部屋には目立った装飾はありません。抜け道がガラス張りで表示されています。部下に襲われたときのことを想定して抜け道を造っていたのでしょうか。

「御涼所」内部
床下の抜け道?

部屋には装飾がないのですが、「御涼所」から見る庭が美しい。

聚遠亭内には他には野村白月、稲畑汀子の句碑がありました。

野村白月句碑
春水の 上の障子の あきにけり
稲畑汀子句碑
冬になほ たつのの紅葉 心惹く

野村泊月(明治15年~昭和36年)は丹波出身の俳人。句碑に刻まれた句は龍野の俳誌『いひほ』の百号記念大会が昭和5年に聚遠亭で開かれたときに詠んだ句です。
稲畑汀子は祖父が高浜虚子、父が高浜年尾という女流俳人です。句碑の句は第3回龍野市民俳句大会(昭和51年)で詠まれたものです。

聚遠亭内はどこも紅葉で色づいて美しいの一言です。

紅葉谷

次に紅葉谷へ行きます。

「御涼所」の裏側の方から行きます。
ここの門、石段も素敵でした。

聚遠亭から紅葉谷までは3分程度。すぐに到着します。
ここも紅葉で美しい。

紅葉谷の道は旧因幡街道で、鳥取に向かう道でした。三木露風にまつわる話があります。

三木露風の母、碧川かたは離婚して鳥取に帰りました。
幼い露風は母が帰ってくると思い、この道で母を待っていたといいます。

露風の歌に母を恋しく思う歌があります。
 吾れや七つ 母と添い寝の夢や夢
 十とせは情け 知らずに過ぎぬ

母を思う気持ち、美しい自然によって露風の感性が磨かれたのでしょうか。
紅葉谷はとにかく美しいの一言でした。

聚遠亭、紅葉谷とも本当に美しかった。紅葉の時期に来られてよかった。