水都大垣・奥の細道むすびの地記念館

松尾芭蕉は奥の細道の旅を大垣で終えました。
芭蕉は大垣には4回訪れています。
貞享元年(1684)「野ざらし紀行」の旅が初めての訪問。2回めが「笈の小文」の旅。3回目が「奥の細道」で、最後は元禄4年(1691)に江戸へ帰る途中に大垣に立ち寄っています。
大垣には門人、友人がたくさんいたため、大垣が奥の細道の終着点になったようです。

大垣は水都と呼ばれていますが、海から遠い大垣と水が結びつきませんでした。
後で調べると、大垣がある美濃の木曽川流域は雨が多い地域で地下水が豊富で、大垣では湧き水(自噴水)がたくさんあるそうです。
江戸時代、市内を流れる水門川は大垣と桑名を結んでおり、奥の細道の旅を終えた芭蕉は水門川を下って桑名から伊勢神宮への旅に出ました。

奥の細道むすびの地記念館は水門川に設けられていた船町港の向かいに建てられています。
住吉灯台は船町港に造られた川灯台。カーブを描いた形状が優美です。朱色の住吉橋もきれい。

住吉灯台
住吉橋

「芭蕉と木因像」というのがあります。
木因は大垣の廻船問屋。芭蕉と同じ北村季吟の門下生で、芭蕉の友人でした。芭蕉の流派、蕉門が大垣で発展したのは木因の影響が大きいといいます。
奥の細道の終着が大垣になったのは、木因がいたからかもしれません。

芭蕉と木因像

奥の細道むすびの地記念館は2008年にオープンした奥の細道の資料と大垣の先賢たちの偉業を紹介する記念館です。芭蕉の友人、木因の邸跡に建てられているそうです。

奥の細道むすびの地記念館
チェーンソーカービングの芭蕉像

館内は奥の細道を紹介する芭蕉館、大垣の先賢を紹介する先賢館、お土産物を売っている観光・交流館があります。

奥の細道は日光路、奥州路、出羽路、北陸路と4つ旅路に分けて説明がされていて、芭蕉が立ち寄ったところの解説がビジュアルにわかりやすく説明されていました。
AVシアターのビデオも楽しめました。

奥の細道の芭蕉自筆の本と曽良本が展示されています。
複製とはいえ300年前の本が残っているのはすばらしいですね。

芭蕉 自筆本
曽良本

奥の細道むすびの地記念館の奥の細道の説明は楽しくて、すばらしいと思いました。
大垣が水の都というのも新鮮な驚きがありました。