墨俣・義円公園

岐阜県墨俣に義円公園があります。ここには源義経の兄、義円がお祀りされています。
公園という名前がついているので、遊具がある公園の一角に義円を偲ぶ供養塔のようなものが建てられているのかと思っていたのですが、そうではなく、地蔵堂、供養塔が並んだ狭い一角が義円公園でした。

養和元年3月10日 (1181) 墨俣川で源平の合戦が行われました。
前年の治承4年11月9日 (1180) に行われた富士川の戦いでは平家側が完敗。
治承5年2月 (1181) には平清盛が亡くなります。

清盛がなくなったすきを狙って源氏方は京への進軍を図ります。
墨俣に対岸に陣を構えた源氏勢は千余騎。大将は源行家。源頼朝の叔父です。
迎え撃つ平家側は、7千余騎。大将は平清盛の五男、平重衡。このとき若干25歳の若さでした。

墨俣川古戦場の碑

行家の軍勢に源頼朝の弟・源義円が加わります。しかし、義円は行家軍とは二町 (約200m) を隔てて軍を敷きます。
夜明けとともに先陣の先駆けをしようとした義円。平家側に見破られてしまい、平盛綱に討ち取られました。

墨俣の戦いは平家側の圧勝。
源行家は約 80 km 離れた矢作川まで退却します。

義円地蔵の堂
源義円供養塔

源義円は義経と同じく常盤御前の子で、義経の兄にあたります。幼名は乙若といい、天王寺に預けられていました。兄・頼朝の挙兵を聞き、行家の軍に加わったと考えられています。

近くに義円の墓があります。小さな墓でした。
源家の一員なのに派手な装飾もなく、ひっそりと佇んでいます。きれいな花が供えられていました。

義円の墓