加賀100万国のお城 金沢城。
姫路城のような天守閣はありませんが、広大なお城でした。
天文15年(1546)、本願寺が金沢御堂を創建。
天正8年(1580)、織田信長の重臣柴田勝家により攻略され、佐久間盛政が築城。
天正11年(1583)、前田利家が能登七尾から移り城主となる。
慶長3年(1598)、利家の長子・利長が城主となる。
寛永8年(1631)の大火後、3代藩主・前田利常が本丸、二ノ丸、 三ノ丸などを整備する。
宝暦9年(1759)の大火により城の建物の大半が焼失。
明治以後、終戦までは陸軍の拠点として利用される。
平成7年までは金沢大学キャンパスとして利用される。
平成13年に金沢城公園として開園される。
お城は小高い丘(標高60m)の上にあります。その下には鯰尾兜をかぶった前田利家公の像がありました。
ここからだと紺屋坂を登り、石川橋を渡り、石川門から城へ入っていきます。
石川門は宝暦9年(1759)の大火の後、天明8年(1788)に再建された門です。
石川門は一ノ門とニノ門で構成され、一ノ門を入ったところの空間は枡形で、周りを城壁で取り囲んでいます。
ここに攻め込んだ軍勢は四方からすごい攻撃を受けたでしょう。
金沢大学は昭和24年(1949)に創設され、平成7年(1995)に現在の角間に移るまで、金沢城内にキャンパスがありました。
城の中にキャンパスがあるなんて、すごい感じがします。
勉強しないと武士に怒られそうです。
河北門もたいへん大きく、重厚な門です。
三の丸の正面にあって、金沢城の実質的な正門ということです。
宝暦の大火(1759)の後、安永元年(1772)に再建されました。
橋爪門も一ノ門とニノ門二の丸で構成される枡形門です。
文化5年(1808)の火災で消失後、文化6年(1809)に再建された姿を復元しているそうです。
金沢城では石川門、河北門、橋爪門の3つを三御門と呼ぶそうですが、どの門も立派でした。
もし金沢城での戦に巻き込まれてしまい、これらの門を攻めろと命じられたら、絶対に嫌です。
金沢城は天守閣のような高い建物がないぶん、広大さを感じるとともに、石垣が見事だと思いました。