仙崎・金子みすゞ記念館

仙崎湾

山口県長門市仙崎の金子みすゞ記念館を訪問させていただきました。

金子みすゞ(本名:テル)は明治36年(1903)仙崎に生まれる。兄・堅助、弟・正祐の3人兄弟。

明治39年(1906)3歳、父・庄之助が死去。
下関の上山文英堂の援助を受け仙崎でただ一軒の本屋・金子文英堂書店を開業する。
弟の正祐は上山文英堂の主人・上山松蔵の養子となる。
母ミチの妹・フジが上山松蔵に嫁いでいた。

大正8年(1919)16歳のとき、母・ミチが上山文英堂主人・上山松蔵と再婚。
大正9年(1920)17歳、大津郡立大津高等女学校を卒業。

大正12年(1923)20歳、下関の母のもとに移り住む。
上山文英堂の支店で、たった一人の店番として働き始める。
金子みすゞのペンネームで童謡を書き、雑誌に投稿し始め、西條八十に評価される。

大正15年(1926)23歳、上山文英堂店員と結婚。
童謡詩人会に入会。「日本童謡集」に「大漁」「お魚」が掲載される。

浜にあった「大漁」の碑

「大漁」
朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰯の 大漁だ
濱はまつりの やうだけど
海のなかでは 何萬の
鰯のとむらひ するだらう。

大正15年11月に長女ふさえ誕生。

昭和2年(1927)下関で西條八十と会う。わずか5分ほどの出会いだったそうです。

ご主人は童謡を書くことや作詞仲間との文通などを禁じようとしたそうです。
さらに、ご主人から病気をうつされてしまいました。

有名な「私と小鳥と鈴と」という詩は、理不尽にもしたいことを禁じられる悲しさ。それに対して、誰にも、それぞれ素晴らしいものを持っているという信念を表したものだという解説を読みました。
かわいいだけの詩ではないようです。

「私と小鳥と鈴と」

昭和4年頃から、書きためていた童謡を3冊の作品集として清書し始める。
昭和5年(1930)26歳、2月に離婚。3月、死去。

金子みすゞ記念館は生誕100年を記念して平成15年(2003)に建てられました。
看板は金子家が仙崎で開業した「金子文英堂」となっています。
館内では金子文英堂の店先、みすゞの部屋などが復元され、常設展示室では金子みすゞの生涯と作品の資料が展示されています。

金子みすゞ記念館 看板は金子文英堂
みすゞの部屋

26歳で亡くなった金子みすゞは「幻の童謡詩人」と語られていました。
その死から50年後の昭和57年(1982)、童謡詩人の矢崎節夫氏によって手書きの3冊の作品集が発見され、金子みすゞ全集として出版されます。
こうして、誰もが金子みすゞの詩に触れられるようになりました。

金子みすゞ像

作品集の発見に至るストーリーは奇跡のような話だと思います。発見された金子みすゞの詩は多くの人を力づけ、癒しています。
そのために、神様が残してくれたのでしょう。