和気神社

藤まつりが開催されている和気神社におまいりしました。

和気神社では和気清麻呂公だけではなく、清麻呂公の先祖様、ご家族がお祀りされています。
最も古い神様は鐸石別命(ぬでしわけのみこと)。
鐸石別命は第11代垂仁天皇の第5皇子で、日本書紀では鐸石別命、古事記では沼帯別命(ぬたらしわけのみこと)として登場されます。
次は弟彦王です。弟彦王は鐸石別命の3代後(曾孫で)、神功皇后が新羅征伐から凱旋、帰国した際に勃発した忍熊王の乱の平定に功があり、和気の地を与えられました。
その12代後の子孫が和気清麻呂公と、姉の和気広虫姫。
さらに清麻呂公の高祖父佐波良(さわら)命、曽祖父伎波豆(きはず)命、祖父宿奈(すくな)命、父乎麻呂(おまろ)命が祀られています。

訪問した日は大変天気が良く、新緑が美しい日でした。
鳥居をくぐって歩いていくと赤い橋。この橋は霞橋といい、俗界と聖界の境にある橋ということです。
橋の手前側が俗界、向こうの神社側が聖界ですね。

日笠川に架かる霞橋

大きな清麻呂公像があります。高さは約5mもあり、昭和58年の清麻呂公御生誕1250年の記念に和気町に寄贈されたものでした。

和気清麻呂公

神社の入口には狛イノシシ。普通は狛犬ですが、ここでは清麻呂公といのししの関係から狛イノシシとなっています。

狛イノシシ

伝説1 宇佐八幡の信託を正直に伝えた清麻呂公。道鏡によって大隅国(鹿児島)に流罪になります。さらに清麻呂公を亡き者にするため刺客が放たれます。
そんなことは知らない清麻呂公は大隅国へ向かう途中、皇室を守った神に感謝するため宇佐八幡宮に立ち寄ろうと、豊前国の海岸に上陸し宇佐を目指します。

すると、どこからともなく、約三百頭の猪が現われ、清麻呂公の御輿の周りを取り囲みました道鏡の刺客たちは清麻呂公に近づくことができません。
猪たちは八幡宮までの約十里の道を無事に案内してくれました。

大猪殿のいのししの剥製

伝説2 足が萎えて歩けなくなった清麻呂公が、猪に案内された「霊泉」に足を浸けると、足が治り、歩けるようになった。

こういう伝説が元になり、清麻呂公と猪は結びつけられています。

随身門

随身門をすぎ、進んでいくと清麻呂公と姉の和気広虫像が並んで建っています。

和気広虫姫
和気清麻呂公

清麻呂公も偉い人ですが、和気広虫姫も素晴らしい女性だったようです。
孝謙天皇に仕え、出家後は法均と名乗りました。
藤原仲麻呂の乱の逆徒375名の助命を懇願し、死刑を流刑に改めさせました。そして、孤児83名を養子として育てます。和気神社のホームページでは「これはわが国最初の孤児院の開設」とされています。
優しい女性だったようです。

道鏡事件

道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)を調べると以下のことがわかりました。

天平勝宝元年(749)、聖武天皇が譲位し、娘の孝謙天皇が即位。母は光明皇后。
天平宝字2年(758)、淳仁天皇に譲位し、孝謙上皇となる。
天平宝字4年(760)、光明皇后が崩御。孝謙上皇と淳仁天皇・藤原仲麻呂と関係が悪化。
天平宝字5年(761)、病に伏せる孝謙上皇を道鏡が治療する。
天平宝字8年(764)、藤原仲麻呂が乱を起こす(藤原仲麻呂の乱)。淳仁天皇を廃位し、称徳天皇として重祚する。道鏡は大臣禅師に任命される。
天平神護2年(766)、道鏡は法王に任命される。
神護景雲3年(769)5月、「道鏡を皇位につかせたならば天下は泰平である」という宇佐八幡宮の神託が奏上される。
これを確かめるため、和気清麻呂が派遣される。

宇佐八幡の神前に額ずく清麻呂公にもたらされた神託は
「我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし。」

宇佐神教碑

7月、宇佐から戻った和気清麻呂はこの神託を言上する。
これに怒った称徳天皇と道鏡は、和気清麻呂を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)に改名し、大隈国に流罪とする。
11月、称徳天皇が詔を発し、道鏡には皇位は継がせないと宣言する。
神護景雲4年(770年)、称徳天皇が崩御し光仁天皇が即位する。道鏡は失脚し、下野国に流罪となる。清麻呂公は許され都に帰る。

清麻呂公が神託を持って帰り、道鏡が天皇になることを阻止してから2年あまり、称徳天皇が崩御されるまで、道鏡は政界のトップにありました。
単純に神託だけで決まったわけではなさそうです。

社殿

清麻呂公が「道鏡を皇位につけてはならない」と言上したとき、すごい勇気がいったでしょう。
当然、称徳天皇は道鏡を皇位につけたいと望んでいることを知っていたでしょうから。
その勇気があったからこそ、天皇家が今に続いているのかもしれません。

藤まつり

藤まつりは和気神社に隣接した藤公園で行われています。
日本国内と中国、韓国の152箇所から集められた藤が咲いています。種類は100種類で、種類の多さでは日本一とのこと。

ということで、いろいろな藤を見ることができました。
形も様々です。そして、藤は藤色をしているものと思っていたのですが、黄色い藤がありました。ちょっと驚きでした。

たくさんの人で賑わってました
黄色い藤

和気神社があるこのあたりは、藤野の地という名で、藤が咲き乱れるところだったそうです。
清麻呂公、広虫姫はその藤を見たのでしょうか。