幻住庵

「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ」で始まる幻住庵記。芭蕉最高の俳文と評されています。

元禄2年(1689)3月に江戸を発った芭蕉。8月にむすびの地・大垣に到着し、約150日間の奥の細道の旅を終えました。
そのあと、芭蕉は江戸に帰らず、伊勢神宮、故郷の伊勢、京都、大津を巡りました。
義仲寺に滞在していた芭蕉は、元禄3年(1690)4月から7月まで石山寺に近い幻住庵で暮らします。

幻住庵は国分山の中腹にある近津尾神社にあります。
幻住庵記では「翠微(山の中腹)に登ること三曲二百歩にして、八幡宮たたせたまふ」と記されています。

参道を登っていく
幻住庵の記の通り何回か曲がる

幻住庵記の通り、参道を登り3回ほど曲がった先に神門がありました。
明治維新で廃城となった膳所城の薬医門が移設された門です。

神門

近津尾神社のご祭神は誉田別命です。創建年は不祥ですが、石山寺の記録によると承安3年(1173)後白河院が石山寺へ行幸されたとき、石山寺座主・公祐僧都が命を受け勧請したとの記録があるとのこと。石山寺との関係が深いようです。

この日は誰もおらず、幻住庵記の通り「日ごろは人の詣でざりければ、いとど神さび、もの静かなるかたはらに」でした。

近津尾神社

近津尾神社から少し登ったところに幻住庵があります。

幻住庵表門

幻住庵は門人の菅沼曲水の叔父・幻住老人(菅沼定知)の別荘でした。
現在の建物は表門とともに平成3年(1991)に復元されたものです。
ここは木に囲まれているので、意外と涼しく、静かでゆったりとしています。句作や考え事をするのにぴったりの場所だったのでしょう。

幻住庵

とくとくの清水は、自炊生活をしていた芭蕉が水を汲んだところです。幻住庵の記には「たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みてみづから炊ぐ。とくとくの雫を侘びて、一炉の備へいとかろし」と記されています。

とくとくの清水

とくとくの清水から山のふもとまでせせらぎ散策路が通っています。
たいへんきれいな小径です。芭蕉もここを散策したのでしょうか。

せせらぎ散策路

幻住庵記は次の文章で終わります。
俳諧一筋に旅をしてきた末に、幻住庵にたどり着いた。まずはこの椎の木陰で一休みしようという意味と解釈しました。

ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡を隠さむとにはあらず。
やや病身、人に倦んで、世をいとひし人に似たり。
つらつら年月の移り来し拙き身の科を思ふに、
ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは仏蘺租室の扉に入らむとせしも、
たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、
つひに無能無才にしてこの一筋につながる。
「楽天は五臓の神を破り、老杜は痩せたり。賢愚文質のひとしからざるも、
いづれか幻の栖ならずや」と思ひ捨てて臥しぬ。

   先づたのむ椎の木もあり夏木立

境内の椎の木