無動寺を訪問しました。
大日如来を本尊としている高野山真言宗のお寺です。
神戸十三仏の十二番霊場であり、近畿三十六不動尊十番霊場、摂津西国三十三ヶ所九番霊場でもあります。
無動寺でいただいたパンフレットに無動寺の縁起が書かれていました。
- 聖徳太子が物部守屋を討伐するために鞍作烏(鳥仏師)に命じて大日如来などの仏像を作らせ、戦勝を祈願した。
- 守屋との戦いに勝利した後、この地に七堂伽藍を建立して普救寺(福寺)と名付けた。
- 盛衰の変遷があったが、記録等が散逸して詳細は不明。
- 高野山の高僧・真源阿闍梨が帰省した折、荒廃した寺院の再興を発願し、20数年の勧進の結果、宝暦2年(1752)に再建された。
※真源阿闍梨は現在の北区山田町の出身
蘇我馬子・聖徳太子(厩戸皇子)と物部守屋が戦った丁未の乱(ていびのらん)は用明天皇2年(587)に起こっています。この縁起が正しいなら、無動寺は1,400年以上の歴史を持った古刹ですね。
無動寺では本尊の大日如来座像、脇侍の釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、不動明王坐像、十一面観音立像が、さらに若王子神社本殿が国の重要文化財に指定されています。
拝観料300円を払って堂内の仏像を見せていただきました。
大日如来は大きくて迫力満点です。高さが2.8メートルもあります。
5体の仏像はもちろんですが、その両脇に立っておられる仏像も平安時代の作品でした。
こんな至近距離ではるか昔の作品を見られたことに感動しました。
若王子神社
永仁5年(1297)に橘長綱によって建立され、応永5年(1408)に再建されたものです。
橘長綱は八幡神社の神主を務めていました。
神社は覆屋内にあるため保存状態が良く、室町初期の建設当初の姿がよく残っているそうです。
前からだとわかりにくいですが、横から見ると屋根の形がよくわかります。
奥の院
若王子神社へ向かう鳥居の横のわき道をたどると5分ほどで奥の院に着きました。
奥の院までの道沿いには四国八十八か所巡礼の祠が続きます。明治41年に造られたようです。
無動寺は神戸十三仏の寺ということで訪問しましたが、なんといっても、見せていただいた仏像が良かった。荒廃した時代があったといっても、これだけの文化財をもっている無動寺の文化の奥深さに驚きです。