日本芸能発祥の地・土舞台

土舞台顕彰碑

日本書紀の推古天皇20年(612)に次のことが記されています。

百済から帰化した味摩之(みまし)が「呉の国で学んだ伎楽の舞ができる」と言った。
味摩之を桜井に住まわせ、少年を集めて舞を習わせた。
真野首弟子(まののおびとでし)と新漢済文(いまきのあやのさいもん)の二人が舞を学んで後世へ伝えた。
二人は大市首(おおちのおびと)、辟田首(さきたのおびと)らの先祖である。

このことから、土舞台は日本芸能発祥の地とされ、古代の国立演劇研究所であり、国立劇場でもあると言われています。

伎楽は、1400年前に中国から伝わり、鳴り物を打ち鳴らしながら行列して人々を集め、伴奏とともに演じられた無言劇で、音楽が重要な意味を持ち、その演技は誰にでもわかりやすい、大きな演技と滑稽さが特徴の仮面舞踊劇でした。
その後、伎楽は衰退しますが、獅子舞や雅楽、猿楽(能)等に伝承されていきました。

土舞台顕彰会の説明板より

伎楽は飛鳥から奈良時代にかけて盛んに演じられましたが、徐々に衰え、江戸時代に滅びました。しかし、鎌倉時代の雅楽奏者、狛近真(こまちかざね)が著した「教訓抄」によって、どういう演出であったのかがわかっているそうです。
また、伎楽で使う伎楽面という仮面には胡人(アーリア人)の特徴があるので、伎楽の源流はインドや西域にあるのではないかと考えられています。

伎楽は風刺が効いた滑稽な、ちょっと下品なものだったようで、猿楽、さらには狂言へとつながっていきした。獅子舞も伎楽が源流だそうです。

土舞台を訪問しましたが、土舞台顕彰碑や土舞台の説明板があるだけで、特になにもありませんでした。

土舞台

土舞台顕彰碑は昭和47年(1972)に建立され、森繁久彌氏やノーベル賞受賞者の朝永振一郎博士らが出席した除幕式が行われました。
毎年、顕彰大祭と芸能イベントが開催されているそうです。

聖徳太子が帰化人の芸を認めたところから日本の芸能文化が生まれたということですね。
もしかしたら聖徳太子は外国人が、舶来ものが好きだったのかも。。。
それにしても、聖徳太子はいろいろなところで、後々の日本に影響を与えていますね。