宮本武蔵が13歳の時、新当流の達人・有馬喜兵衛と戦った場所を訪問しました。
これが武蔵の初めての決闘でした。
ここは平福藩の刑場跡でもありました。六地蔵が並んでいます。
六地蔵は処刑された人の供養のために建てられたものでした。
武蔵と有馬喜兵衛の決闘が始まります。
戦いは、武蔵が一刀のもとに喜兵衛を倒したといわれています。
武蔵が著した『五輪書』の一節を説明した碑が建っています。
『五輪書』には「我、若年の昔より兵法の道に心をかけ十三にして初めて勝負をす。其のあいて、新当流有間喜兵衛といふ兵法者に打勝ち、十六歳にして但馬国秋山といふ強力の兵法者に打勝つ」と記されています。
しかし、『五輪書』には決闘の相手としては初決闘の有馬喜兵衛と次の相手である但馬国秋山の2人しか出てきません。
いかに武蔵が強かったといっても、武芸の達人が13歳の子供に負けるのかと思います。そのときの武蔵は異常なパワーを発揮したのかもしれません。
だからこそ、強烈な印象があった有馬喜兵衛と但馬国秋山の2人が記されたのかもしれないと思います。
ここは佐用川の川岸です。平福代官が建てた高札がありました。