高砂にある申義堂は町民子弟の教育の場として設けられた学問所です。
高砂町大年寄 岸本吉兵衛の願いを聞き入れ、姫路藩 家老の河合寸翁が設立を建議しました。
藩と民間が費用を出し合って申義堂は運営されました。
「申義」の意味は義を申す、繰り返し教え少しずつ養い育てることを意味するそうです。
教育にピッタリの言葉だと思います。
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建物は奥の間がある座敷と縁側だけの簡素な構造。
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学んでいたのは高砂や周辺の町民や医師の子供で、歳は10代前半から半ばと考えられています。
在学期間は短い者で1年、4年以上に在学した者もいました。
授業は早朝から正午まで行われ、元旦五節句(1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)と毎月5日、15日、25日が休みでした。
天保6年の出欠簿では、190日の皆勤を最高として、100日以上が6人、4人が50日以下の出席でした。一人ひとりの差が大きかったようです。
■申義堂の歴史
文化年間(1804〜1818) | 創立。 |
文政10年(1827) | 教授の菅野松鵜が仁寿山校に招かれる。 |
嘉永6年頃(1853) | 申義堂が閉鎖される。 |
文久3年(1863) | 申義堂が再開される。 |
明治4年(1871) | 廃藩置県で廃校。 |
明治12年(1879) | 加古川市へ移築。 |
平成5年(1993) | 高砂市へ解体移設。 |
平成24年(2012) | 申義堂復元公開 |
申義堂の教材
- 四書 中国儒教の古典。大学、中庸、論語、孟子。
- 五経 中国儒教の古典。易経、詩経、書経、礼記、春秋。
- 小学 修身道徳の格言など、古今の書から抜粋収録した書。
- 近思録 中国の思想、朱子学の入門書
- 春秋左氏伝 中国の歴史書「春秋」の注釈書
申義堂の教授
- 菅野松鵜 申義堂初期の教授。仁寿山校に招かれた。
- 三浦松石 菅野松鵜から申義堂の教育を引き継いだ。
- 小林悟陽 菅野松鵜、三浦松石に学んだ。申義堂が再開するときに教鞭をとった。
- 三谷松園 申義堂再開後に教授となった。
- 三谷茅鹿 小林悟陽に学んだ。
申義堂内の資料を参考にしました。