見野の郷交流館・姫路古墳ロード

見野の郷交流館を訪れました。
外観は町の公民館のような感じですが、四郷町に残る見野古墳群、宮山古墳などの展示物や古墳時代の説明があって、楽しい博物館になっています。

見野古墳出土品の展示

小型の獣(ネコ?)の足跡が付いた須恵器が展示されています。
見野古墳群6号墳から発掘されたものです。
焼く前の半乾きの須恵器の上をネコが歩いたのでしょうか。

石室の模型

石室の大きさが感じられるよう、実物大の模型が作られています。
狭いです。
見野古墳群は大王の古墳ではないので、これぐらいの大きさだったのですね。

古墳時代

古墳時代の説明がありました。
古墳時代のことがよくわかる説明で、勉強になりました。要約すると次のようになります。

  • 鉄器の普及とともに稲作農耕の生産量が増した。
    丘陵内部まで集落は拡大し、水稲栽培が盛んになるとともに、畑作農耕も進んだ。
    経済力が上昇し、国家が形成され、ヤマト政権が誕生した。
  • 技術の進歩
    甑形(こしがた)土器が考案され、住居に「かまど」が取り付けられるなど食生活も大きく進んだ。 古墳時代中期には須恵器が作られ、土師器とともに重要な位置を占めた。
    さらに、紡錘車や玉砥石などから、織物や装身具の生産が一般化したと考えられる。
    この時代は、先進的な生産技術が受容され、人びとのなかに技術が次第に定着していったと考えられる。
  • 貧富の差
    豪族と一般の農民の生活格差、貧富の差が大きくひらいた。
    支配者層は居館を構え、一般の農民は竪穴式住居などに居住した。
  • 古墳時代
    3世紀後半から7世紀にかけて、北海道と沖縄を除く各地域で古墳が盛んに造られた。
    この時代を古墳時代という。
  • 古墳時代
    3世紀後半から7世紀にかけて、北海道と沖縄を除く各地域で古墳が盛んに造られた。
    この時代を古墳時代という。
    ・古墳時代前期:3世紀後半〜4世紀後半
    ・古墳時代中期:4世紀後半〜5世紀後半
    ・古墳時代後期:5世紀末〜6世紀末
    ・古墳時代終末期:7世紀
    四郷町の古墳は6〜7世紀末にかけて造られた。
  • 古墳の広まり
    見野古墳群が造られた古墳後期から終末期は、官人層も含めた広範囲の人びとが古墳に葬られるようになった。
    横穴式石室の導入が全国に広まり、群集墳も造られるようになった。
    横穴式石室は追葬ができるため、一つの石室が「家族墓」となり、家父長的な家族の発達を促したといわれている。
    古墳後期の後半頃には、古墳の規模は小さくなった。
    さらに、終末期になると有力者間に仏教が広まり、中央集権的な身分秩序を基盤とする律令制が始まり、古墳時代は終わった。
  • 祭り
    古墳にともなう祭祀以外に、山・川・海といった自然神 に対する祭祀、生産や住居に対する祭祀も盛んに行なわれた。
    実用的でない土製の模造品や石製模造品、玉製品などが祭祀に使われ、新たな祭祀形態が現れた。

姫路古墳ロード

姫路市四郷町は多くの古墳があります。
古墳をめぐる道が姫路古墳ロードと名付けられています。
総延長は約 10 km。
姫路古墳ロードには見野古墳群長塚古墳火山古墳郡中鈴山古墳阿保古墳群坂元山古墳郡宮山古墳が含まれています。

姫路古墳ロードの古墳では、宮山古墳が最も古くて5世紀後半、見野古墳群は古墳時代後期の6世紀中頃以降に築かれたようです。
姫路市の古墳では、姫路市勝原にある瓢塚古墳が最も古く、古墳時代初期(3世紀)に築造されたと推定されています。瓢塚古墳は前方後円墳で規模も大きい。
古墳時代中期(5世紀前半)の壇場山古墳は中播磨・西播磨地方では最大の大きさです。
それに比べると播磨古墳ロードの古墳は小さいです。

見野古墳群

見野古墳群は古墳時代後期、6〜7世紀に造られた20基の古墳群。姫路の石舞台(10号墳)や夫婦塚(6号墳)など、特徴のある古墳があります。
10号墳は巨石を使った横穴式石室がむき出しになっていて、明日香村の石舞台古墳を連想させるため、「姫路の石舞台」と呼ばれています。

姫路の石舞台(10号墳)

長塚古墳

長塚古墳は田んぼの中にポツンとその一角だけ盛り上っています。看板がなかったら古墳とはわかりません。
この古墳はもともと前方後円墳だったとということですが、まったくそんなイメージがありません。長い年月をかけて、まわりの田んぼに侵食されてしまいました。

長塚古墳

火山古墳郡

古墳へは四郷町大年神社のわきの道から山の中に入っていきます。
5分程度歩くと古墳が見えてきます。
うっそうとした竹林のなかの古墳。
神秘的でした。

火山古墳群

中鈴山古墳

古墳時代後期(6世紀)に造られた円墳。箱式石棺が確認されていますが、詳しいことはわかっていないようです。

中鈴山古墳

阿保古墳群

阿保古墳群は阿保の百穴とも言われる古墳群。6〜7世紀に造られました。
玉勝稲荷神社境内にある2号墳は古墳の入り口に鳥居が建てられています。古墳そのものが御神体のようです。

阿保古墳群

坂元山古墳郡

坂元山の尾根上に6基の竪穴式石室、南裾に4基の横穴式石室を持つ古墳が点在しています。
たくさんの古墳を見ていると、古墳は古代の遺跡で特別なものと思っていましたが、古代の人にとっては現代の墓と同じなんだと思えてきました。

坂元山古墳郡

宮山古墳

宮山古墳は5世紀後半の直径約30メートルの大型円墳。被葬者は渡来系の人物と考えられています。
兵庫県立考古学博物館に宮山古墳の出土品が展示されています。

宮山古墳

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