蘆屋道満・こけ地蔵

平荘湖の近くに蘆屋道満にゆかりのある「こけ地蔵」がありました。
この「こけ」は「苔」ではなく、ころぶの「こけ」です。

古墳時代後期(6〜7世紀)の家形石棺の蓋石にお地蔵様が彫られたものです。南北朝時代に造られたと考えられています。

蘆屋道満は加古川市出身の陰陽師で、正義の安倍晴明に対してヒールの役割です。

兵庫県立歴史博物館のホームページには、こけ地蔵が次のように説明されています。

道満の屋敷にある井戸からは、毎夜式神(しきがみ)の火の玉が飛び出し、田畑や野をこえて飛んでゆくのが見られたといいます。村人たちはそれを「道満さんの一つ火」と呼びました。一つ火は、天下原までやってくると、そこの地蔵にぶつかって消えるのでした。そのたびにたおれたお地蔵様を村人たちが起こしていましたので、いつしか「こけ地蔵」と呼ばれるようになったのでした。

兵庫県立歴史博物館のホームページより

お地蔵様はかなり傾いていて、こけそうです。

それにしても、お地蔵様が倒れるたびに、起こしていた村人たちは優しいですね。

播磨で術を磨いた蘆屋道満は京に上ります。
そして藤原道真を呪い殺そうとしますが、安倍晴明に見破られます。
播磨に追放された道満は佐用に移り住み、そこで亡くなりました。
佐用には道満塚が残っています。