勧進帳・安宅の関

勧進帳で有名な安宅の関。
日本海に面した小松市安宅海岸にあります。

小松駅前には勧進帳の主役、弁慶と富樫泰家の像がありました。小松では文化遺産として安宅の関の「勧進帳」が大きなウエイトをしめているようです。

小松駅前の弁慶と富樫泰家

石川県こまつ芸術劇場うららでレンタサイクルを借り、安宅の関跡がある安宅住吉神社に向かいました。
小松駅からは海に向かって約3km。15分ほどで到着です。

安宅住吉神社・安宅の関跡

参道は木々に囲まれ、少し神秘的。

少し歩いて社殿に到着。弁慶が勧進帳を読み上げている像が立っています。

安宅住吉神社のホームページによると、神社の創建は奈良時代、天応2年(782)。
たいへん古い歴史を持つ神社。
弁慶が勧進帳を見事に読み上げ、危機に陥った義経一行を救い、見事関所を通り抜けられたからだと思うのですが、難関突破の守護神であります。

拝殿

拝殿の横には勧進帳を読み上げる弁慶の像が建っていました。
白紙の勧進帳を広げ、相手を睨みつける弁慶。ちょっと格好いいです。

勧進帳を読み上げる弁慶

拝殿の脇を通って奥に進むと安宅の関跡があります。
建物らしきものは何もなく、ただ石碑が立っているだけです。安宅の関が本当にあったのかどうかはわからないそうです。

安宅の関跡

安宅海岸

更に進んでいくと安宅海岸。
安宅海岸は、江戸時代には北前船の寄港地として栄えたそうです。
こちらには駐車場もあり、観光スポットになってます。

安宅海岸

安宅の関の碑、関所の門が作られ、義経、弁慶、富樫泰家の像があります。
「勧進帳」では弁慶の「智」、富樫泰家の「仁」、義経の「勇」が語られているという説明がありました。
3者がそれぞれ、違ったキャラクターになっているのが魅力なんだと思います。

安宅の関碑
義経、弁慶、富樫泰家

関所の脇には与謝野晶子の歌碑が建っています。
「松たてる 安宅の砂丘 その中に 清きは文治三年の関」
文治3年(1187)は義経が奥州、藤原秀衡のもとに逃がれていった年です。

関所 与謝野晶子の歌碑が立っている

文治5年(1189)、秀衡の息子・藤原泰衡に裏切られて義経は自害。その藤原泰衡も源頼朝に攻められ、奥州藤原氏は滅びます。

勧進帳ものがたり館

勧進帳の説明をしてくれる資料館。
勧進帳のストーリーや弁慶、富樫泰家、義経それぞれの役割の説明があり、ミニシアターでは歌舞伎「勧進帳」の見得、所作などの解説が上映されています。
これを見ると、どういうところに面白さがあるのかがわかります。

勧進帳の解説

小松では勧進帳の舞台が盛んで、小学生の頃から勧進帳を演じるのだそうです。
子どもたちが演じる勧進帳も面白そうです。

弁慶謝罪の地

弁慶が謝したという場所が安宅の関から4kmほど離れた道林町・道林町会館にあります

ここは道林寺というお寺の跡。
安宅の関を無事通過できた義経一行。
安宅の関から約1里離れた寺で休憩したのでしょう。
そこで、主人の義経を金剛杖で打ったことを弁慶が謝ります

義経(左)に弁慶(右)が謝っている

弁慶は口をへの字に結んで、必死な感じの顔です。一生懸命に謝っている様子が出ています。
義経はすました感じで少し微笑んでいます。
「機知の働きは天の加護」とその忠誠心をねぎらったそうです。

許す義経
謝る弁慶

安宅の関は実在ではなさそうですが、勧進帳の物語が人の心をつかみ、地元で大切にされていることを知りました。
歌舞伎もストーリーや見栄などの意味が理解できれば面白そうです。