弘文天皇・長等山前陵

滋賀県の大津市の園城寺の近くに弘文天皇の長等山前陵があります。
弘文天皇は壬申の乱で敗れた大友皇子のことです。

斉明6年(660) 百済滅亡。
天智2年(663) 白村江の戦いで敗北。
天智6年(667) 都を近江の大津に移す。
天智7年(668) 中大兄皇子即位し天智天皇となる。
天智8年(669) 中臣鎌足が亡くなる。
天智10年(671) 大海人皇子吉野に下る。
天智10年12月(672) 天智天皇崩御。
天武元年6月(672) 壬申の乱が勃発。
 大海人皇子、吉野を脱出して関ケ原・野上に行宮をたてる。
7月22日 瀬田橋の戦いで大海人軍が近江朝廷軍を破る。
7月23日 大友皇子自死する。
 日本書紀には「隠山前 以自縊焉(山前に隠れ、自殺した)」
7月26日 野上で大友皇子の首実検が行われる。

大友皇子は明治3年(1870)に天皇と認められ(弘文天皇)、明治10年に長等山前陵がその陵と治定されました。
ここは、もともとは園城寺(三井寺)の境内だったようです。
園城寺には、大友皇子の子とされる与太王が父の霊を弔うために創建したという伝承があります。

長等山前陵